CJC102014年 四旬節のメッセージ要約

愛する兄弟姉妹の皆さん、

使徒パウロは『あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。』(2のコリント8、9)という言葉で、霊感を受けたものです。使徒パウロの先の言葉は今日のキリスト者にとってどんな意味を与えているでしょうか。この貧困への招待、福音的貧困の生活への招待は私たちにどんな意味があるでしょうか。


神様は私たちのために貧乏になりました。「永遠の神の息子は、光栄と権能で父と同じような方のキリストは貧乏になることを選択しました。」 その方は私たちのうちに来ました。その方は全ての点で、私たちと同じになるためにあなたの栄光を差し置いて、自分を無にしています。(フィリッピの2、7;ヘブライ4、15参照)

神が人になったのは本当に驚くべき神秘です! しかし、このすべての理由はまさに愛です。自分を犠牲として奉献する愛です。

使徒パウロがその方の貧しさで私たちが自由になったと明らかにしたのは驚くべきです。しかし、使徒パウロは「キリストの計り知れない豊かさ」(エペソ3、8)を、その方が「万物の相続者」(ヘブライ1、2)であることがよく分かりました。

それでは私たちを自由にして豊かにしたキリストのこの貧困は何ですか? それは、彼が私たちを愛してくれる方式です。我々の隣人になる彼の方式です。善きサマリア人が道端に今にも死にそうになって捨てられた人に隣人だったのと同じです。(ルカ10、25以下参照)私たちに真の自由、真の救援、そして真の幸せをもたらしてくれたことはその方の愛が持つ連帯、同情、愛情です。

私たちを豊かにするこのキリストの貧困はあの方が受肉をとっていることによって、僕たちの罪と弱さを抱くのです。それは私たちに与えられた神の無限な慈悲を示したものです。キリストの貧困はすべての中で最も偉大な宝物です。

神様は私たちに慈悲と希望のこのメッセージを嬉しく伝える人になれと要求しています! このうれしいニュースを広めて、私たちに与えられた宝物を分けて、壊れた心を慰めて、闇を経験している私たち兄弟姉妹に希望が与えられるその喜びを体験するというのは感激的です。

愛する兄弟姉妹の皆さん、今回の四旬節に教会全体が物質的、道徳的、そして精神的貧困の中で暮らしている全ての人に、私たちの父である神の慈しみ深い愛という福音書のメッセージを喜んで証言するのを見ましょう。四旬節は自己否定のための適切な時です。私たちも自分の貧しさで他の人を助けて豊かにするために、何を放棄できるのか、自分自身に問うならば、よろしいと思います。

教会だより「二十六聖人」平成26年2月号巻頭言より