二俣川教会ホームページでは、教会内で活動している様々な信徒グループ・団体の日々の活動をブログ風に綴り、いきいきとした教会の様子をお伝えしていきます!

マリア会の一員の「ノリコ感覚 その2」です。 

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<ノリコ感覚> その2:  メキシコにて

一昨年のご復活祭は、主人の任地であるメキシコで過ごし、祝うことができた。国民の90%以上がカトリック教徒で占められているこの国で聖なる日々を過ごすとはどういうことなのかと興味津々だった為に、まるで付け足しのようにしか、イエズス様のご受難に思いを寄せることができなかった。全くキリスト者としてなってない私だった。

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メキシコシティのソカロにあるカテドラル

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ケレタロの水道橋を望む

メキシコシティの空港に到着したのは、日本を発ったのと同じ日、つまり聖木曜日の夕方だった。
そして迎えた翌日の聖金曜日、地下鉄に乗った私の目は十字架を腕に抱えて電に乗り込んでくるたくさんの人々の姿に釘付けになった。
人々はソカロという駅で下車し、普段は大きなメキシコ国旗が翻っているソカロ(広場)に向かう。

この時期、国旗のあるあたりには、旗の代わりに特設祭壇が作られていて、人々はそこに自分たちが抱えてきた十字架を供えるようだ。そして人々は次にソカロの向かい側ある古いカテドラルに入る。
日本では、聖金曜日には十字架のキリストには白い布がかけられていて、そのお姿を見ることはできないことが多いが、このカテドラルでは、聖堂の中央に棺が置かれ、その中に主の傷ついたお姿があった。人々はそのお姿を拝もうとして次々とやってくる。

そうしなさいと強請されてやっているのでは決してない。自分の思いのままに行動している。
行動すること、生きることのすべてが信仰を証しすることに直結している。

教会関連の施設だけでなく、スターバックスのようなチェーン店でさえも、聖木曜日の夜からは遅い時間の営業はしない。レストランなどは軒並み休みになってしまう。そうやって国民も観光客も心を一つにしてご復活祭へと進んでいくのだ。初めて味わう種類の驚きと感動だった。

昨年は、メキシコ独立記念日(9月16日)を主人の勤務先があるケレタロで迎えた。
ケレタロはメキシコシティの北西約200kmにあり、中央をアメリカとの国境まで繋がる国の主要な高速道路が貫いている、広がりのある大きな町である。

 この数日前に、首都のメキシコシティへ移動する必要があり、高速バスで向かったのだが、いつにも増しての大渋滞で大変だった。人々が熱狂するこの機会を逃すものかと、教員たちのストライキがあったり、記念のイルミネーションを見ようとする国内外の観光客が押しかけたりと混雑していた。
この国では、人々は自分の国を心から愛しているので、みんなが記念日を祝おうとしてノリノリになり、大騒ぎになってしまう。

比較するのも可笑しな話だが、日本人は普段は国や政治に全く関心がないにもかかわらず、いざオリンピックなどのスポーツ大会で優勝がかかった試合になると、急に愛国心が芽生えるのか、日本!日本!と騒ぐし、すごく応援する。何か変だなという思いが消えなかった。

ケレタロ/セントロにある教会の一つ 
ケレタロ/セントロにある教会の一つ
サンタクルス修道院の中で

サンタクルス修道院の中で

ケレタロに戻って、セントロという古い教会が30ほど集まっている地域を散策した。
400年ほど前に建てられた教会群の中に、教会や修道院の内部を見学するツアーを企画しているサンタクルス修道院がある。
英語とスペイン語のツアーがあるが、主人と一緒なのでスペイン語のほうに参加した。修道院の暗い回廊をぬけると中庭があり、そのまた奥に建物と中庭がある。17世紀初頭に活動していたであろう修道士の銅像もあった。
彼らが勉強したり、過ごしたりした部屋も残されている。庭の木々や花はよく手入れされ、その頃の雰囲気を保っているようだ。
地元のかわいい女性が一生懸命に説明してくれるが、さっぱりわからない。でも、その熱意の中に、当時の修道士たちへの尊敬の念があふれていることが感じられて、私もしばしその時代に自分の心身を置くことができた。

メキシコの人々を見ていると、お金持ちとそうではない人との格差も大きいし、経済的には日本よりもずっと貧しいのだろうなと思ってしまう。でも、“生きているって幸せなことよ”と身体全体で表現している人が多い気がする。
朝は本当に早くから働き、昼食を楽しみ、友人とよく語り合う。まわりの誰かがやってくれた小さなことにも、ちゃんと、“グラシアス!”と言える。そんな人々に囲まれていると、私も容易に幸せな気持ちになることができる。
そして、信仰を持って生きることが彼らにはあたりまえなので、何の躊躇もなく、まっすぐな幸せな道を選択できるのだ。ケレタロを去る前日に、主人の職場の仲間たちがパーティーを開いてくれた。人数の予測がつかないままに、日本から持参した小物や文具をプレゼントしたいという思いで、ちょっとした工夫をしてみた。
小さな箱に数字を書いた紙を20枚ほど用意し、プレゼントにも数字をつけて、先に選んでもらった数字と同じ数字のついた品物を渡した。私が拙いスペイン語で説明したことが幸いしたのか、参加者たちがとても楽しんで数字を引いて品物を受け取っていたのが、何よりうれしいことであり、幸せなことだった。
メキシコ人という「幸せの達人たち」と接するうちに、私も幸せになり、その幸せのほんの少しのおすそ分けができる人になっていたのだろう。

ケレタロ州庁舎に翻るメキシコ国旗

ケレタロ州庁舎に翻るメキシコ国旗

主人の同僚宅での送別会

主人の同僚宅での送別会

さて、日本国内にいて、常々、愚痴を言いながら生きておられる方々は、是非、渡航と宿泊の費用を工面の上、メキシコにお出かけくださいと申し上げたいと思う。人間としても、キリストを信じる者としても、その人生観が変わること請け合いである。

マリア会の一員 N.F.