ヨゼフ会いきいきだより NO.3 「箱根の錬成会から」

錬成会について
ヨゼフ会の錬成会は、土曜午後、車に分乗して二俣川教会を出発、箱根の仙石原の某大学の保養所で一泊、翌日はその近隣の教会で主日のミサに与り、午後には教会に帰着するというパターンを中心にして、ここのところ毎年実施されている。今年も6月21日に保養所で一泊した後、22日には平塚教会を訪ねた。ただ今年は例年と違うのは、19人という多くの参加者があったことだ。

35年前の錬成会

35年前の初めてのヨゼフ会錬成会

35年前の初めてのヨゼフ会錬成会

「献堂50周年記念」に因んで過去の写真を調べていたら、たまたま「1980年4月ヨゼフ会研修旅行」というタイトルの貴重な集合写真が出てきた。「研修旅行」とあるが恐らく初めてのヨゼフ会の「錬成会」であったと思われる。熱海の松坂屋の保養所で行われたそうだ。ご覧のようにすでに帰天された懐かしい方々のお顔も拝見できるだけでなく、何と今回参加された数人の方々の若かりし頃の顔も見られる。

ところで「錬成会」とは、いつからそう名づけられたのだろうか、「錬成会」では剣道や柔道の訓練とか、受験塾の○○錬成会などが思い浮かぶように、いかにも心身を鍛えるって感じがする。もう周知のようにヨゼフ会の錬成会はそれと全く違う。いわば車座で「本音を語ろう会」であり中高年の「分かちあいの場」でもある。もちろん大いに飲み明かす親睦の場でもある。ところが今年は、教会委員など現に活躍されている中枢メンバーが多かったせいか、せっかくの胸裏を合わせた座談の内容が、経費節減の方策など教会の管理運営の話題が中心になってしまったようだ。

平塚教会ミサ後の懇談「みつば会」で
とくに今回の「錬成会」で特に印象深かったことは、平塚教会のミサ後の懇談会「みつば会」(※)の席上で、二俣川の最長老のお1人、関さんのお話しを聞かせていただいたことだ。

IMG_3287今年94才になられた関さんは、戦前からのカトリック信者で、以来ずっと変わり者あつかいを受け続けたこと、1964年に終わったバチカン公会議後のカトリック教会の大きな変革など、私たちには想像できないそういった多くの体験を通して、人々のつながりはやはり「愛」しかないことを強調された。
(※ 平塚教会の中高年の分かちあいの場(茶話会)で、「みつば」とは三位一体をみつばの葉に重ね合わせて名づけられたそうだ)

平塚教会みつば会での懇談にて

私たちが訪れた22日の平塚教会のミサは茅ヶ崎教会の市岡之俊神父様の司式であった。
市岡神父様はこの3月に茅ヶ崎教会に着任されたばかりで、「みつば会」の席上では、6月初めにマリア会の皆さんを茅ヶ崎教会で迎えたばかり、同じ二俣川から今度は男ばかりの巡礼団にびっくりされたようだ。

第6地区の現状から
ところでこの平塚教会が所属する神奈川第6地区は、茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮、国府津、秦野、小田原(箱根)、真鶴の8教会に5人の司祭しかいない。そのためこの5人の司祭が、順次、主日のミサを回り持ちしている。しかし8教会に5人の司祭であれば当然、主日に司祭のいない教会がどこかに発生する。そこで第6地区の6月から8月までの主日のスケジュールを調べてみると、やはり毎週どこかの教会はミサでなく「集会祭儀」が行われているようだ。
市岡之俊神父様の場合、あの22日の平塚教会の以前には、6月初めから茅ヶ崎、二宮、小田原の各教会を巡回されている。
そのため第6地区では、各教会のミサをいつでも案内できるように、教会行事、キリスト教講座などの予定表と併せて、ホームページで専用ページを作って情報を共有化している。
このような小教区単位ではなく第6地区という広域での宣教司牧活動という発想は、2005年の梅村司教様の示された「教会共同体による共同宣教司牧」に沿った考えではないか。
翻ってわれわれ第3地区7教会は、今は第6地区ほどの窮状にはないが、典礼や教会行事などの情報の共有化は必要ではないかと思う。

ヨゼフ会よき知らせレポーター K.V.