カトリック二俣川教会は、今年で献堂50周年を迎えます。
教会の月刊広報誌『26聖人』で連載中の、”50周年記念に寄せて”の記事を、ご好評により、当ホームページにも掲載することとしました。

この連載は、二俣川教会の信徒が、50年前の当時を思い出して書いた回顧録です。
ぜひご覧ください。

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二俣川教会献堂50周年と受洗50年の私

会沢

教会献堂と私の受洗年数が同じだと気づいたのは転入した後の献堂15周年の時でした。

50年近く前、鶴見教会がまだ聖ヨゼフ学園の校庭にあった当時、私は中学校に入学しました。バチカン公会議が終了直後で、入学した時に買ったばかりの聖歌集を買い替え、ひざまづいて聖体拝領をすることにあこがれていたのに立ったままになり、祭壇が対面形式になり、ラテン語が日本語になりました。マ・スールのスカートが短かくなり頭のかぶり物も変わりました。 ヨゼフ在学中は毎朝、朝礼で祈りと聖歌、四時限が終了すると、いっせいに校内放送で「お告げの祈り」、週に二時限の(新約と旧約)宗教の授業が組まれていました。洗礼を望む生徒は、毎週木曜日の一時限と放課後に公教要理が受けられました。
父の許しを得て、高校二年の復活祭に受洗と初聖体の恵みを受けました。熱が38度もあったことを覚えています。18才で堅信を受け20才で社会人になった時、飯野雅彦神父様13にJOCを紹介されました。 その頃、二俣川教会はドバール神父様の次のルベール神父様でした。JOCの指導司祭はルベール神父様だったのです。末吉町教会で行なわれていた組会に出席した時、今は無い京急・日の出町駅前の「不二家」でケーキをごちそうになった懐しい思い出があります。二俣川からもメンバーがいましたので二俣川教会の名前は聞いていました。その何年か後、二俣川教会に転入するとは思いもしませんでした。 鶴見教会のJOC男子組会代表は会沢、女子準備組会は私でした。
今、ふり返ってみて子どもたち三人は二俣川教会に育てていただいたのだと心から感謝しています。息子は親が教会につながっていれば、自分もつながっていられると考えているところがあります。いつか、孫も神さまに導かれて生きて行かれるよう祈る毎日です。

教会だより「二十六聖人」平成25年10月号より