「二俣川教会献堂50周年に寄せて」

ジョー・ドゥバー(ドバール)神父

□二俣川教会の誕生の時期は、2つの歴史的な出来事と重なっています

SCAN0013その出来事とは東京オリンピックと第二バチカン公会議です。第二バチカン公会議は、華々しくはなかったものの、宗教上の重要な会議であり、その目的は神の教えを広めることと、人々の生活に博愛精神をもたらすことでした。

1965年3月1日、小さな聖堂・司祭館のために捧げられた祝別式の中で、荒井司教様はこの理想を大変暖かなお言葉でお話しくださり、信徒は熱心にそれを聞きました。式の後の夕べでは、女性信者の方々が手作りされたおいしい食べ物を囲んで楽しい宴が続きました。

その最初のミサには約60名の信者が集まりました。始まりとしてはまずまずでした。しかし、それに続く数字をご覧下さい。1965年5月1日には157名、1965年のクリスマスには270名と、信者の数が増えていきました。その数はそれからも引き続き増えていきました。小さな聖堂は日曜日のミサにはしばしば信者であふれんばかりでした。これは大きな問題となりつつあり、教区長の心配事となりました。ここでまた数字を挙げますと、1971年1月、フランスに戻っていた私に荒井司教様は信徒が1000人を超えたと知らせてくださいました。そして2004年7月には梅村司教様からの手紙で、信徒の数が2150名を数えたとありました。Deo gratias(神に感謝)。

こうした理由から、もう一つの小さな聖堂の建設が必要となりました。そしてそのずっと後には、また一から始めなければなりませんでした。つまり、全てを取り壊して、教会の敷地全体に、美しくて素晴らしい現在の聖堂が建てられたのです。

 

□1964年から1965年にかけての思い出

SCAN00211964年5月半ばから7月末まで、私が抱えていた大きな心配事は土地探しの問題でした。私はそのことばかり考えていました。教会に適していて、駅からそれほど遠くなく、あまり高くない土地・・・。

ついにある日、相模鉄道所有の土地が候補として上げられました。松村神父と私は相模鉄道に連絡を取り、面会し、丁寧な対応を受けました。土地の売買契約を結ぶこととなりましたが、相模鉄道ではその計画全体を見直さなければなりませんでした。そして売買契約を結ぶ際、嬉しい驚きが待っていました。何度かお会いした社長の計らいで、土地を安く譲っていただけることになったのです。「教会建設のこの計画によって界隈の雰囲気が良くなるでしょう」と社長はおっしゃっていました。

 

□教会献堂当初から信者の数が急激に増えた訳は?

3つ理由があります。・まず最初に、沢山の子供が洗礼を受けたこと・次に、それまで教会から遠く離れた所に住んでいた沢山の信者が「家」に戻って来たこと・3つ目は、周りの丘陵に沢山の住宅が作られたこと。これら現代的な小さな一戸建ての家を川崎、横浜、東京などの大都市の人々が購入。彼らは都会から離れた田舎に家を求め、それらの人々の中に信者もいたのです。

 

□教区での活動の体制作り

体制作りは迅速に進みました。信者は非常に熱心で活力にあふれていました。委員会の指導の下に、男性、女性、青年労働者、学生などの様々な活動グループが作られ、また、典礼関係の部会や聖書の会合、キリスト教講座なども作られました。

1965年の夏には、今後の教会の資金集めを目的として、入念な準備の末に大きなバザーが開かれました。このバザーは大成功をおさめ、界隈に住む人々やキリスト教信者でない沢山の人々が教区を訪れこのイベントを楽しみました。彼らはキリスト教信者らが喜びと博愛の精神の中でこのお祭りを楽しんでいる姿を見て、快い印象を受けていました。成功裏に終わったこのイベントは、教会の近隣の人々皆に心良く受け入れてもらえるものとなりました。

 

□教会の名称「日本二十六聖人殉教者」の選択に関して

荒井司教様や信者の方たちと何度か話し合い、この名前が選ばれました。私にとってこれは自然に出てきた名前でした。事実、主イエス・キリストを否定するよりも死を選び長崎で殉教したキリスト教徒について、母が称賛を込めて子供の私に聞かせてくれたものでした。彼らの信仰は今日もなお私たちに問いかけ続けているでしょうか?

 

□最後に、JOC(カトリック青年労働者連盟)の元メンバーからの助言

横浜司教区の司教様より二俣川教会の主任司祭に任命された際の、ある日曜日のミサの後でしたが、司教様と今後の二俣川教会について話していました。その時司教様が突然でしたが、私にこういう助言をくださったのです。「あなたはこの教会の責任者となりました。それは、あなたがボスになったという意味ではなくて、あなたが人々の間にハーモニーを築く人になったという意味ですよ。」この助言を私は決して忘れませんでした。そして私はこのことを常に実行してきたのです。

 

教会だより「二十六聖人」平成26年5月号より