50年前の「男子の会」(ヨゼフ会の前身)の議事録にみる教会創立時の記録から。

広報委員 伴

IMG_3042ここに「65男子の会」と表記された古びた一冊のノートがあります。

これは昨年から広報委員会が提供を呼びかけていました「50周年記念の思い出の資料」のひとつとして、初代教会委員長の関忠博さんから提供いただいた貴重なノートブック(右の写真)です。この連載シリーズ「献堂50周年によせて」でその中身をご紹介します。
ただ当初、議事録という記録だけをもとに当時の状況を推測した部分もあったので、提供者の関さんに確認をさせていただきましたが、「いや実際はこうでした」ということがあるかも知れません。教会創立当時をご存知の方からご指摘いただければ幸いです。

ノートの中身は、1965年3月1日の教会献堂式の直前の第1回会合(65年2月7日)から、翌年の5月の第16回会合までの一年余り、毎月開かれた「男子の会」の議事録といった内容です。最初、題名の「65」という年号の下に「男子の会」と続いているので、現在の「ヨゼフ会」の前身の会か、と思いましたが、さらに中身を開いていくと、創立当時の教会の基本的な話し合いの記録ばかりが続いていました。どうも現在の「教会委員会」の記録と考えた方が適切かもしれません。ただこの「男子の会」、会費を月100円徴収しているようですし、また当時から「男子会」とか「壮年会」とも呼ばれていたそうですから、やはり「ヨゼフ会」の前身といってもよいと思います。

ついでながら、今の「マリア会」はこの頃から「婦人会」として、この「65男子の会」でも「婦人会との協力で」という記述が度々あり、教会の日常活動ですでに存在感を発揮していた様子がわかります。

第1回、第2回会合の議事録 (クリックで拡大すれば記載内容が読み取れます)

第1回、第2回会合の議事録
(クリックで拡大すれば記載内容が読み取れます)

第1、2回の会合は、献堂式が迫っているため、その段取りや役割分担など、もっぱらその準備のための話し合いが続いています。その中には「椅子やスリッパ20足購入」というような細かいことまで記録されています。

第3回から、布教についての討論、公教要理の勉強会の方法、「家庭会」(今の地区会に相当)のあり方、掲示板の設置などが話し合われています。また献堂されて間もないのに、その後の急増する信徒に対応するため、隣地に新聖堂を建てる目的で、バザーなどの資金作りの検討が始まっています。ただ資金作りだけのバザーは認めませんと、ドバール神父様のお達しを受けて、資金作りだけでなくカトリックのPRと布教にも、という目的があとで追加されたようです。また驚いたのは、そのバザーの日程が8月28日(土)午後6時~と、29日(日)となっていることです。日曜だけでなく前日の土曜の夜も含めての2日かかりのバザーですか、8月末とはいえまだ暑い頃だから納涼も兼ねて、ということだったのでしょうか。また寿司80円、おでん50円の食堂の前売り券とありました。50年後の現在の値段のさほど変わらない。とくに焼き鳥がいまと同じ100円とありました。1皿2,3本としても100円は高いって感じがします。

更に注目したいのは、教会維持費を各人の収入の1%とする、と明記していることです。当時はミサ献金はまだ始まっていません。またサラリーマンにボーナスが支給される夏と冬に「ボーナス献金」という特別の献金もあったようですが、事実上この教会維持費一本ですべて教会財政を賄おうとすることでしょう。それにしても共同体の全員でこの教会を担っていこうとする当時の皆さんの意気込みが感じられます。

第5回から第7回までは、8月のバザーの準備のための話し合いが続き、その間に建設基金のための募金を1口5千円に決定とか、「男子の会」の会費を月100円徴収、とかの記載があります。

更にこの「男子の会」で第12回から聖書研究(輪読)が行われているので、いたく感心します。いまの「ヨゼフ会」とは随分と趣が違うようです。また第8回会合では委員の任命が出てきます。ここで初めて現在の教会委員会の誕生が図られようとしています。「委員:関(正)、鈴木(副)……」とありましたが、初代教会委員長が関さんであることがわかります。さっそくその3日後の9月21日に最初の教会委員会が開かれています。

第10回以降では、「家庭会」についての検討項目が多くなってきます。その年の11月の会合では、「クリスマスの布教」についてのポスター50枚を相鉄線の各駅に貼るように、「瀬谷5枚、三ツ境6枚、二俣川10枚、…」と地区毎に責任枚数が決められます。また当時インドに大災害がありそのための救援募金も各家庭会が街頭募金で各駅に立ったという記録がありました。また詳しい内容は不明ですが「地区員の選挙」とか「困窮家庭の救済の相談」というような内容の深そうな項目もありました。このような「家庭会」が中心となった地域への積極的な「布教・福祉」活動には、立ち上りつつある共同体にとって特別な高揚感と使命感があったのでしょう。

IMG_3051第15回から、月報(今の「二十六聖人」)の発行について検討され始めています。月報の名前や印刷機の購入、発行の手順など。「教会だより」の創刊号は翌年の1月に発行されています。右の写真はその創刊号を飾る表紙です。なお名称の公募で決まった「世の光」という名称は5月号から始まりました。

その後しばらく「男子の会」は、このようにいまの教会委員会の役割を担っていました。その後、創立時の信者数150人から3年後の(1968年)の新聖堂の完成時には600人余りに急増しています。それに伴って教会委員会を中核とした各組織が体系化されたようです。そしていまの「ヨゼフ会」の名称になったのは、更にその10年後の昭和54年(1979年)のことです。

最後になりましたが、私たちの半世紀前の先人の方々の、このような教会創立にかけられた熱意と深い信仰に思いを巡らせながら、来年の献堂50周年を迎えたいと思います。

教会だより「二十六聖人」平成26年7月号より