<ノリコ感覚 その5 須賀先生のこと>
須賀敦子先月24日まで、神奈川県立近代文学館ではある展覧会が開かれていた。展覧会は10月から開かれていたにもかかわらず、そしてずっと気になっていたにもかかわらず、行くことができたのは11月に入ってからだった。その展覧会の主役は私にとって本当に懐かしい、シニョーラ・スガ、須賀敦子先生だった。

私が会社員だった頃、社内の回覧に「外国語を学ぼう」というような内容のちらしが挟まっていて、それを同じ部内の同僚が見つけて誘ってくれた。と、私は記憶していたのだが、先日、30数年ぶりにその誘ってくれた人に会った折、この話を確認してみたら、『え、誘ったっけ?』と言って笑っていた。私は結局1年半通ったのに、彼はほんの2,3回しか行けなかったのだから、そういう反応も無理からぬところではあった。

その頃、東京港区にある某有名大学にいわゆる「夜学」があった。今はないらしいが。先程のちらしには、費用は会社持ちで、英語やフランス語のようなどこでも学べる言語ではなく、例えばスワヒリ語のような特殊な言語を学んではどうかというありがたい文言が並んでいて、場所はその夜学だった。いくつかの言語が学べる候補としてあがっており、その中にイタリア語があったので、飛びつくようにして申し込んだように思う。

小さい頃から語学というか言語には興味があった。小学校2年の時にはもうアメリカにペンパルがいたし、6年生の時には大学の卒論のテーマをある英文学作品に絞り込んでいたのだから(笑)。迷いもあったけれど、無事に大学の英文学科に入学して英文学を学び、第2外国語には他に良い選択肢がなかったのでフランス語を選んだ。
こういう言い方は大変申し訳ないと思う。でも、積極性のない選択にはやはり身が入らないものだなと卒業後につくづく感じていた。そんな思いを引きずっていたのだろう、仕事を終えたあとに週2回イタリア語を学べることになって、俄然、私はやる気になっていた。そして、須賀先生と出会ったのだった。

イタリア語の先生は2人だった。須賀先生以外のもう一人の先生は端正な顔立ちの中年男性で、イタリア語特有の音について詳しく説明された。例えば、gli という定冠詞があるが、これは gi でも li でもない。その中間の音でなかなか難しい。私たちは
何度も発音を練習した記憶がある。この先生とは対照的に、須賀先生はソフトな感じで楽しかった。イタリア語の単語を説明される時、必ず英語ではこの単語ですね、と
言ってくださったので、私にはとてもわかりやすかった。

ノリコ感覚その5
須賀先生に授業で最初にお会いした時、あれ、この人とどこかで会ったことがあるような、と感じた。何だろう、この懐かしさ、温かさはとずっと気になっていたが、その正答を得たのはかなり後のことだった。この頃、先生が醸し出す雰囲気が、私の伯母に似ているなと私は思っていた。何故なら、伯母はイタリア人と結婚していたからだ。イタリア語とイタリア人、本当に単純な発想である。でも、先生のプライベートなど何も知らなかったのに、後年、先生が作家になられて、その略歴が世間に知られるようになり、イタリア人と結婚されていたと知った私は、自分の感覚の鋭さ正しさを褒めてやりたくなったものだ。

その略歴によれば、先生は関町教会でも活動されていたようだ。私が大学生まで通っていた教会であり、先日、ザビエル祭の折に関町教会の名前の入ったテントを見た時には、そうそうこのあたりは私のエリアだわと自然とほっこりしてしまった。

私は現在教会活動に専念できていることに深く感謝しているし、そのことについては『世の光』にも詳しく書かせてもらっているので省略させていただきたいのだが、敢えてひとつだけ、教会に戻れるようになった要因というかターニングポイントは何だったかと振り返ってみると、それは「須賀先生に習ったイタリア語」と言えるだろう。

イタリア語をたとえ短い期間とはいえ学んだにもかかわらず、現地に行って使う機会を得たのは約20年後のことだった。その頃娘たちが所属していた合唱団が、指導してくださっていたM先生のたっての希望でイタリアへ演奏旅行に行くことになり、仕事などで参加できない母親たちもいるので、うちのようにまだ小学生の団員を持つ母親は必ず付き添うように要請されたのである。これが結婚後の初めての海外旅行になった。長女は、主人も出張で毎週のように韓国へ行っていたこともあり、母親と妹が海外へ行くことになったので、「これでうちもインターナショナルだねえ。」と言っていたものだ。家を10日ほど留守することには不安もあったけれど、とにかく行きたかったイタリアに行けるということで、私はルンルンと荷作りをし、娘は歌の練習にはげんだ。

この旅行で私のイタリア語が役に立ったのかというと、たぶんそんな場面はほとんどなかったように思う。でも、すごくうれしいことがあった。それは、あるガイドさんのアイディアで、地震で大きな被害を受けたアッシジ(聖フランシスコであまりにも有名だが)ではなく、そのとなり町のスポレートの教会を訪れた時のことだ。ミサ中の「主の平和」を皆で唱える際、イタリアではハグをしたり、普通に「お元気ですか?」という意味の言葉、Come sta ? をお互いに言い合ったりする。私は長い間教会やミサから離れていたので、ミサがこんなにもオープンで楽しい雰囲気になっているとは全く知らなかった。それ故、日本から遠く離れたカトリックの国であるイタリアで、偶然にも本場のミサに与る機会を得られたこと、また、この素敵な「主の平和」をイタリア語で聞き取れたこと、そしてミサ後に神父様が祭壇裏の香部屋に団員全員をお呼びになって、特に、小さかったうちの娘に「大きくなったらまたここにおいで」と言ってくださった言葉がわかったこと、などなどが本当にうれしかった。その時にはただうれしかっただけだったけれど、今信徒の一人としてこのスポレートの教会でのことは神様の大きなお恵みだったと心から思っている。

須賀先生に教えていただいたのは単に言葉だけではなかった。イタリア語の持つ明るい雰囲気や発音が日本人にはわかりやすいこと、イタリアの町と一体化しているいくつもの教会やカトリックそのもの、そんないろいろなイタリアの持つ魅力に気づかせてくださったことが何よりもありがたかった。先程の答え、「先生はとても懐かしい!」と私が思った訳は、先生がカトリック信者だったということ。そしてお会いした最初から、何の情報もなしにそう思えたことにもっと深い意味があるのではと思った。
先生 → イタリア語 → イタリアという国 → カトリック → 教会 → 私の戻りたかった所、こんな自然な流れで今の私があるのかと思うと、神様の計画は驚くばかりである。

もうすぐクリスマスを迎える。今年はイタリア語でクリスマスの挨拶をしてみるというのも、なかなか良い考えではないだろうか。
Buon Natale!!
そして、皆さまよいお年を!!                                  
マリア会の一会員 N F