CJA04Dimostrare di Mostrare
[自分が発見するのではなく、明らかになったことについて]

中世ローマの彫刻家たちは大理石を彫刻する時、いつも自分が彫刻像を創造し、作り上げるのではなく、非常に大きなその大理石の中に、元の刻まれている神様の姿が見られるようにきれいに整理して回復することと考えました。

20年間待ちつづけていた聖母子像も私たちが建てたのではなく、私たちの中におられるマリア様を新たに迎え入れたということでしょう。

50周年を迎える我々の共同体は当然私たちがこの共同体を作って来たと考えるかもしれないが、実は、我々はここにおられる神様が明らかになっていただけるよう、彼の摂理を受けて歩んで来たと思います。 自分を表すのではなく、その方が明らかに現れますようにと謙遜に歩まなければなりません。

「私がこんなにした。 私たちがこうした。」ではなく、その方が私、私たちを導いてくださったことを、もう一度忘れないで反省することが大切です。 神様がこの地上に来られた受肉の神秘はわれわれが選択して作り出したのではなく、その方が私たちのためにへりくだって来ましたということです。そして 私たちはその方を心の中で受け入れ愛するようになります。

まず、共同体の中におられる神様を心に迎えて、私たちが主導権を持つことではなく、神様にすべての主導権を委ね、導いてくださいますようにと共に祈りましょう。

主の平和がいつもみなさんと共にありますように…アーメン

教会だより「二十六聖人」平成27年2月号巻頭言より