CJGこの世の中には私のものは一つもない

毎日顔を洗って風呂に入って歯を磨いておしゃれにするこの体を「私だ」と勘違いしながら生きています。私たちは生きていながらこの体のためにお金と時間、情熱、真心を注いでいます。

きれいになりたい!格好よくなりたい!セクシーになりたい!もっと若くなりたい!

しかし、病気にはなりたくない!死にたくない!

この体は私の意志や切なる願いとは全く異なって太ったり、痩せたり、病気で段々弱くなり、癌になったり、記憶が段々なくなっていつかは死んでいくのです。

この世の中に私のものだと言えるのは一つもありません。

妻が私のものだろうか?

子供が私のものだろうか?

友人が私のものだろうか?

私の体も自分のものだと言えないのに誰を自分のものだと、またどれを自分のものだと言えるでしょうか?

すべてのことは縁によって会い、散らされる雲のようなことです。

憎くても私の縁、嫌でも私の縁

この世界で誰も背負っている苦痛であることを…! 避けることができなければ抱き締めて体温で全部熔かしたい、誰かがやるべき事なら私がしてあげたい、いつでも行うことなら自ら喜んでしよう。

今日は私の前にいる人に真心で力を尽くしましょう。

泣くとすべてが解決されるなら一日中泣き尽します。

イライラすることで解決されるなら、一日中顔をしかめる。

戦うことですべてがうまくなれば、誰とも狂ったように戦います。

しかし……この世界の事は解けていく順序があり、道筋があります。

私が少し譲ったその場

私が少し配慮したその場

私が少し下げた目線

私が少し手に入れたその空間

このような余裕としっとりとした人の心が、不遇な隣人はもちろん、他の生命体に希望の空間になります。私と縁を結んだすべての人々に、本当に涙が出るほどありがたいです。じっと考えてみるとこの世界は本当に感謝と感謝の連続です。

教会だより「二十六聖人」平成27年10月号巻頭言より