ヨゼフ会いきいきだより NO.9  「ふしぎなキリスト教」を読んで

ふしぎはキリスト教今回は、ヨゼフ会の活動をお伝えする「ヨゼフ会いきいきだより」の主旨から離れますが、最近、読んだもので特に印象が深かった本のご紹介をします。
「ふしぎなキリスト教」という本の紹介です。

橋爪大三郎と大澤真幸共著の「ふしぎなキリスト教」という新書本で、「キリスト教」というこの類のカテゴリでは珍しく30万部も売れた大ベストセラーで、2012年度の新書大賞を受けています。ベストセラーですからもうすでに読まれた方も多いと思います。
普通の書店ではもう店頭から消えているようですが、今でもネット通販で購入できます。

著者2人とも比較的名が通った社会学者です。特に橋爪大三郎は、ルター派のクリスチャンですが、ユダヤ教やイスラム教、それに仏教にも憧憬が深い宗教社会学者として著名です。

一般の人にとって「不思議」としか表現できないキリスト教について、大澤氏がノンクリスチャンという立場から、時には挑発的に疑問点を問い質し、橋爪氏がそれに出来るだけ明快に答えるという問答形式で構成されています。
「神は全知全能なのに、なぜこの世に悪とか不幸があるか」とか、「キリストは一体、神なのか、人なのか」、あるいは「キリストが十字架にかけられたのが、なぜ人間の罪を償うことになるのか」というような大澤氏のキリスト教に対する素朴な疑問、誤解は、実にキリスト教が持つ核心的な教義上の命題でもあります。質問する大澤氏にしても全くの素人ではなく、従来からキリスト教的な概念を論考する鋭い論客です。

この「ふしぎなキリスト教」は、キリスト教の入門書としても有効ですが、ただの入門書ではありません。聖書を読み解きつつ、これだけは理解してほしいという意図を感じさせるキリスト教の啓蒙書でもあります。
答えるのがクリスチャンの橋爪氏としても、別に宣教的な意図が感じられず、キリスト教に対して適度に好意的で、また批判的でもあります。カトリック信者の読者としても一応納得する答えが多いのではないかと思います。

いわばクリスチャンとノンクリスチャンの対話ですが、結構、キリスト教の教義に踏み込んだ内容もあります。「原罪」、「人の子」、「三位一体」、「神の国」などカトリック信者として知っているつもりでも、今さら改めて聞けないキリスト教の重要なキーワードについて、心の中にしっかりと根付いていなかったと気づかせられました。

この「ふしぎなキリスト教」という本が、読みに読まれている影響を受けて、大学など授業の教材に使われている反面、キリスト教の各教派は、神父(牧師)などの聖職者も含めて今一つ関心がないようです。
またカトリック、プロテスタントともに信者の間では余り読まれていない。キリスト教を取り上げても、日本のクリスチャンは、啓蒙書には関心を示しても、このような通俗的な本には、あまり興味を示さないのだそうです。

ふしキリと対話するただ、もう一つここでご紹介するのは「『ふしぎなキリスト教』と対話する」という本です。
カトリック側から現在、ただ一つ反応を示した御受難修道会の來住(きし)英俊神父が2013年7月に出しています。
もちろんカトリックからの公式なものではなく、あくまで來住神父個人の見解ですが。
來住神父は、総じて「ふしぎなキリスト教」の評価は良く、「よくぞ言ってくれました」という部分も結構多いとしています。特にこの本が「神と人間の“対話”」の必要性を何度も強調している点を高く評価しています。
やはり「出るくいは打たれる」のでしょうか、インターネット上では「ふしぎなキリスト教」は誤りが多いということが指摘されて、そのための専門サイトができるまでになっています。
そのことを紹介した上、來住神父は、この「ふしぎなキリスト教」という本がなぜこれだけ多く読まれるようになったか、と同時になぜ反論も多いのかも、分かり易く解説しています。
神義論、贖罪論、予定説のようなキリスト教の神髄をカトリックの立場から説明していると同時に、偶像崇拝や奇跡のように、クリスチャンでなくても興味深いトピックについても、「ふしぎなキリスト教」の見解と対比した形で説明を加えています。

「ふしぎなキリスト教」と併せて、この「『ふしぎなキリスト教』と対話する」を読むことによって、より理解が深まり、われわれクリスチャンとしてキリスト教が本当に不思議でなくなるのではないかと思います。

                                     ヨゼフ会良き知らせレポーター K.V.