2017年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ
「弱くて声も上げられない子どもの移住者たち」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになったかたを受け入れるのである」(マルコ9・37。マタイ18・5、ルカ9・48、ヨハネ13・20参照)。この箇所を通して福音記者は、人々を鼓舞すると同時に責務を担わせるイエスの教えを、キリスト教共同体に伝えています。それはまさに小さな者から始まり、救い主を通して神へと至る確かな道のりを、人々を受け入れながら歩むことです。受け入れることこそが、その歩みを実践するための必要条件です。神はわたしたち人間の一人になられ、イエスのうちに幼子になられました。信仰のうちに神を受け入れることにより希望が育まれますが、それはもっとも小さく弱い人々に優しく接することとして表れます。いつくしみの特別聖年で再確認したように、愛と信仰と希望はすべて、身体的な慈善のわざと精神的な慈善のわざと結びついています。

 一方、福音記者はいつくしみに反する行いをする人の責任にも焦点を当てています。「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石うすを首に懸けられて、深い海に沈められるほうがましである」(マタイ18・6。マルコ9・42、ルカ17・2参照)。あまりにも多くの子どもたちが無慈悲な人々に搾取され、傷ついていることを考えるとき、この厳しい警告を考えずにいることなどできるでしょうか。子どもたちは売春をさせられたり、ポルノ業界のわなにかかったり、児童労働者や少年兵として奴隷のように扱われたり、麻薬取引や他の犯罪行為に巻き込まれたり、一人で取り残される恐れがあっても、紛争や迫害から逃れることを余儀なくされたりしています。

 したがって、年一度の「世界難民移住移動者の日」にあたり、わたしは子どもの移住者、とりわけ一人ぼっちの子どもの移住者の現実に目を向けるよう呼びかけたいと思います。そして未成年であり、外国人であり、無防備であるという三つの要因のために、自らを守るすべのない子どもたちに、皆さんが心を配るよう切望します。彼らはさまざまな理由により、故郷から遠く離れた土地で、家族の愛情から離れて生活しなければならないのです。

 今日、移住は地球上の一定の地域に限定される現象ではなく、すべての大陸がかかわる世界的規模の大現象になりつつあります。それは、人並みの仕事やより良い生活条件を求める人々だけでなく、平和で安全な場所を見つけて生き残ることを願いながら自分の家を後にせざるを得なかった老若男女もかかわる現象です。移住の悪影響をもっとも深刻に受けるのはおもに子どもたちです。多くの場合、暴力、貧困、環境上の問題、そしてグローバリゼーションの悪影響がその原因です。迅速かつ容易に利益を得ようとする歯止めの効かない競争は児童売買、未成年者の搾取と虐待、そしてより全般的に言えば「児童の権利に関する条約」に定められている、子どもに本来備わっている権利の剥奪といった異常な害悪を助長します。

 児童期は特有の弱さを抱えており、そのために侵すことのできない独自のニーズを有します。何よりもまず、健全で安全な家庭環境の中で父母の模範と導きのもとに育つ権利が存在します。次に、とりわけ家庭と学校で適切な教育を受ける権利と義務があります。子どもたちはそこで、自分自身の未来とそれぞれの国の担い手として成長することができるのです。実際、世界の多くの地域において、読み書きと基本的な計算を学ぶことは今でも、ほんの一部の子どもしか享受できない特権です。さらに、すべての子どもたちには遊ぶ権利、楽しむ権利、つまり子どもである権利があります。

 しかし、こうした子どもたちは移住者の中のもっとも弱い人々のグループに属します。人生を始めたばかりの彼らは、目につかない声なき存在だからです。彼らは恵まれない境遇にあるために、公的書類に登記されず、世間の目から隠れた存在になっています。大人が伴っていないために、彼らは声を上げることも、またその声が聞かれることもありません。こうして子どもの移住者は、人間が陥る最低のレベルに簡単に至ってしまいます。そこでは多くの無実の人の未来が、不法行為と暴力によって一瞬で台なしにされますが、その一方で児童虐待のネットワークはなかなか打破されません。

こうした現状にどのように立ち向かうべきでしょうか。

 第一に、移住現象は救いの歴史と無関係ではなく、むしろその一部であることを認識する必要があります。それは神のおきての一つと結びついています。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである」(出エジプト22・20)。 「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」(申命記10・19)。 この現象は時のしるしです。それは、歴史と人間共同体における神の摂理のみわざを、普遍的な交わりに照らして物語るしるしです。教会はこれらの問題点、たびたび起こる移住による痛ましい出来事や悲劇、さらには彼らを適切な形で受け入れることの難しさから目をそらしません。そして、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民」(黙示録7・9)を包み込むキリスト教共同体の中では、だれも外来者にならないという確信のもとに、この現象を含む神のご計画を認識するようわたしたちを励ましています。一人ひとりの人間が何よりも大切です。物よりもはるかに重要です。そして一つの組織の真価は、人々、とりわけ子どもの移住者のような弱い人々のいのちと尊厳がどのように扱われているかによって推し量ることができます。

保護と融合と持続的な解決策にも取り組む必要があります。

 まず第一に、子どもの移住者の保護と安全を確保するために、あらゆる手段を講じなければなりません。なぜなら、「多くの場合、こうした少年少女たちは路上に一人で取り残され、情け容赦ない搾取者の餌食となり、肉体的、精神的、性的暴力の対象にされてしまうからです」(ベネディクト十六世、2008年「世界難民移住移動者の日教皇メッセージ」)。

 一方、移住と人身売買の区別はしばしば非常にあいまいになっています。移住者、とりわけ子どもの移住者を弱い立場に追いやる要素は数多くあります。すなわち貧困、生活手段の欠如――メディアによる現実離れした見通しのことも付け加えなければなりません――、低い識字率、受け入れ国の法律、文化、ときには言語すら知らないことなどです。したがって、子どもの移住者は身体的にも心理的にも他者に頼らざるをえません。しかし、子どもたちの搾取と虐待のもっとも主要な要因は、需要があることです。搾取者に対して厳しく実効性のある措置が取られない限り、子どもたちを餌食にするあらゆる種類の奴隷制をなくすことはできないでしょう。

 したがって移住者は、自分たちの子どもの幸せのためにも、受け入れ社会とさらに緊密に協力し合わなければなりません。さまざまな形の虐待から子どもたちを守るために時間と物資を費やしている教会団体と民間団体に、わたしたちは心から感謝しています。情報を交換するだけでなく、タイムリーで具体的な仲介を確実に行うことのできるネットワークを拡大することによって、より効果的で的確な協力活動を行うことが重要です。とくに教会共同体が祈りと友愛的な交わりのうちに一つになるときに生じる大きな力を、過小評価してはなりません。

 第二に、子どもと若者の移住者が社会に溶け込めるよう、わたしたちは努力しなければなりません。彼らは大人の社会に頼り切っています。彼らを受け入れて保護し、社会に溶け込めるよう促す適切な政策が、財源不足のために実現できないというケースが非常に多く見られます。その結果として、子どもの移住者が社会に溶け込めるよう助けたり、彼らが付き添いのもとに安全に帰国できるような計画を推し進めたりするのではなく、単に移住者の入国を規制したり、彼らにとって本当に「一番よいこと」は何なのかを確かめずに、本国に送還したりしています。入国規制は違法なネットワークをかえって助長するだけです。

 不法に滞在している場合や犯罪組織に加わっている場合、子どもの移住者の状況はさらに悪化します。それらの場合、収容所に通常、送られますが、逮捕されることも珍しくありません。罰金を払う資金も、帰国する資金もないために、長期間拘留され、あらゆる種類の虐待や暴力を受けることもあります。こうした事態に対し、移住の流れを管理し、国の共通善を守るという国家の権利は、子どもの移住者の状況を改善し、合法化するという責務と結びついたものでなければなりません。その際には、彼らの尊厳を十分に尊重し、彼らが単独で滞在しているときには彼らのニーズに応え、あるいは家族全体の幸せのために彼らの両親のニーズに対処するよう努めるべきです。

 子どもたちに移住を強いている要因をなくすために根本的に重要なことは、適切な国家政策を実施し、送り出し国と受け入れ国の合意に基づく協力計画を実行することです。

 第三に、持続的な解決策を模索し、実施するようわたしは心から皆さんに求めます。子どもの移住者の問題は複雑な現象であり、その根源に対処することが必要です。戦争、人権侵害、腐敗、貧困、環境問題や災害は皆、この問題の原因です。最初に傷つくのは子どもたちです。彼らはしばしば、拷問や他の身体的暴力だけでなく、倫理的、心理的な暴力も受け、いやされることのない傷を負っています。

 したがって、彼らの祖国で移住を引き起こしている要因に対処することが何よりも重要です。そのためには第一に、避難を強いる要因である紛争や暴力をなくすために、国際社会全体が尽力する必要があります。また、真の開発をすべての人に確保するためには、もっとも深刻な不正義や紛争に見舞われた地域に適切な対策を提示できるような、将来を見通す視点が必要です。真の開発とは、人類の希望である子どもたちの幸せを育むものであるべきです。

 最後に、子どもや若者の移住者に寄り添っている皆さんにひとこと、申し上げたいと思います。彼らは皆さんのかけがえのない助けを必要としています。教会も皆さんを必要としています。そして皆さんの惜しみない奉仕を支えます。もっとも小さく弱い人の中に主イエスを見いだし、受け入れるよう求める福音を、勇気をもってたゆまずあかししてください。

 わたしは、すべての子どもの移住者、彼らの家族と共同体、そして彼らに寄り添う皆さんをナザレの聖家族の保護にゆだねます。皆さん一人ひとりの歩みを聖家族が見守ってくださいますように。こうした祈りとともに、わたしは心から使徒的祝福を送ります。

バチカンにて
2016年9月8日
聖マリアの誕生の祝日
フランシスコ