笹氣神父様を思った日々

笹氣神父様を思った日々ご復活祭から50日後の聖霊降臨の祭日も過ぎてしまった。ということは、これで復活節が終了したのだと改めて考えてみると、何とも言えない早さで時間が経過したような気がする。何故かというと、たぶん、季節が冬から春へと移り変わる3月下旬の2週間余り、「枝の主日」と「ご復活祭」の頃、私は日本を離れていたので、残念ながら今年は全く桜を見ることができなかったことが一つの原因だと思う。開花宣言が出た頃に出発し、帰ってきてみたら、花はきれいに散った後だった。でも、本当に美しい新緑が私を迎えてくれたことが救いだったと思う。自分の目で確かめることができなかった時間経過の早さは、まるで私が浦島太郎ならぬ浦島花子になったようで、本当は2週間ではなくもっとたくさんの時間が過ぎ去ったのではと疑ってしまうほどだった。

1年前になってしまった前回の『ノリコ感覚』を、私は「笹氣神父様に従っていこう」というような言葉で締めくくっていた。それは、昨年のご復活祭に笹氣神父様がうちの教会に赴任されたからだった。思い返せば、2017年という年は何という激動の一年だったことか!

笹氣神父様が私たちの前から駆け足で天の御父の元へと帰っていかれてからもうすぐ半年になろうとしている。神父様はご自分の追悼文集などというものを独立した冊子として発行しようとしたら、きっとお怒りになっただろうなと想像し、「二十六聖人」2月号の中に追悼特集として皆さまからの文章を掲載して発行させていただいた。また、これは姜神父様の温かいお気持ちからのご提案だったが、笹氣神父様のお写真は納骨まで聖堂に飾らせていただいていた。笹氣神父様に関する一連のことが済んだこのタイミングで、神父様のことを広報である私がこのような拙文にさせていただくことを、教会の皆様にはどうかお許しいただきたいと思う。

正直に言わせていただくと、私は一人の信徒としても広報を担当する者としても、神父様のあまりにも早い帰天をただ大人しく受け止めることなど到底できなかった。心にぽっかりと穴があいたような気持ちというのはこんなものなのかなと、寂しくて仕方がなかった。

神父様がご自身の病気をきちんと受け止められて、教会から近いということで県立ガンセンターに入院されると、あたり前かもしれないけれど、神父様が今どうされているのか、病状はよくなっておられるのかなどの細かい神父様情報は、ほとんど何も一般信徒には知らされないようになってしまった。その同じガンセンターでボランティアをしている教会の人も、″病院内で私に会っても、挨拶などはしないで放っておいてほしい″と神父様に言われたとのこと。そして、神父様をお見舞いできるのは教会のほんの一部の人に限られていった。神父様の覚悟もすごいと感じたし、教会委員会や事務所の方々がいろいろと配慮されていることもよくわかったけれど、それでも、病状を正しく教えていただきながら、信徒が皆で神父様が早く良くなられるように心を合わせて祈ることが何故許されないのだろうかと悔しく思った。確か、神父様ご自身が「皆で祈る」などということはとにかくやめてほしいとおっしゃったと記憶してはいるけれど。悲しいことに、結果としては、帰天の前日の主日ミサの後、『神父様は今とても重篤な病状です。』というお知らせがあった。信徒はえ~?と驚くしかなかった。

 神父様はこんな風に私たちと決別され、天国に旅立っていかれた。亡くなられたとの一報を受け、教会にお別れにうかがった時、お顔を拝見しながら私が思ったのは、短かった神父様との日々をこのまま風化させてはならない、という広報としての決意だった。大袈裟なと思われても、一人で騒いでると批判されても、もうどうでもよかった。神父様との思い出を作ることができなかった信徒の方々が多くおられるのだから、幸か不幸かたくさんの思い出をお持ちの方々が、その思い出を語るというようなコンセプトで追悼文集を纏めて、それを神父様にお捧げしようとご葬儀の間も考えていた。

私が日本を発ったその日は笹氣神父様の納骨の日と重なっていた。聖堂のお写真もこの日までという大切な節目だったのだが、海外に行くことは何か月も前からの予定だったので納骨には参列できず、申し訳ないと思いながら心の中で祈りを捧げた。一年前のご復活祭の頃はあんなにお元気だったのにと思わずにはいられなかったし、8か月という本当に短い二俣川での司牧の日々ではあったが、神父様は実に大事なことを私たちに教えてくださっていたのだと気づいたのは、つい最近のことだった。

5月12日、うちの教会でカ障連(カトリック障害者連絡協議会)の講演会が行なわれ、担当司祭であるH神父様がお話しをされた。その内容はあの相模原の障害者施設で起こった凄惨な事件のことで、まずはっとさせられたのは、この事件はまさに横浜教区で起った事件ですよね、と私たちに確認を求める言葉がH神父様から発せられたからだった。そうだった、この事件は神奈川県内で起きたんだと再認識した。そして、残虐な犯行を行ったU被告はその施設で以前働いていた職員であり、自分自身も障害者であるにもかかわらず、重い障害者は邪魔なだけだから死んだほうがいいというような考えを持って犯行に及んでいたという。何て酷い考え方なんだろうと感じるけれど、皆様もここで立ち止まって、よく振り返ってみてほしい。私たちもこういう考え方に陥っていないだろうか、と。″優れた人たちや健常者たちだけが生きる権利を持っている″というような誤った考え方を「優生思想」と呼ぶが、この考え方を持っていた人として有名なのはあのヒットラーであった。彼がこの考え方を持っていたせいで、どれだけ多くの大切な命が犠牲になったかについては、世界中の人々が知っていることだ。

ああそうか、笹氣神父様が折に触れて教会でおっしゃっていたのは、この「優生思想」とは全く逆のことだったんだなと気づいた。気づいたというより、H神父様が気づかせてくださったのかもしれない。聖堂で話されているH神父様は、私たちにできることは、「互いに愛し合いなさい」ということだけですと言われた。お二人の神父様の姿が私の中でダブって見えたと同時に、笹氣神父様の下記の言葉が熱く蘇っていた。

【できる人にお願いしないでください。できない人に頼んでください。できる人に頼めばうまくいくでしょうが、それは教会のやり方ではありません。】