■姜神父メッセージ

2022年9月18日 年間第25主日の説教 

週の主日の福音で、イエス様は三つの例え話を通して、神様の慈しみと愛の深さを示し、その神様に立ち返ることの大事さを教えてくださいました。それらの例え話は、「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエス様に近寄ってきた」とき、それを見つめながら「この人は罪人たちを迎えて、食... つづきを読む

2022年9月11日 年間第24主日の説教 

世の中には、「カトリック教会は人間の罪意識を強調する傾向がある。」と思っている人たちがいるようですが、信者の皆さんはどう思われますか。多分、言いにくいと思いながらも、それに同意する信者も多数おられるでしょう。特に「赦しの秘跡」を巡っては、「どうして、教会は罪の告白を... つづきを読む

2022年9月4日 年間第23主日の説教 

今日の福音は、大勢の群衆がイエス様についてきたときの様子から始まっています。この場面は多分、イエス様がエルサレムに向かっておられるときのことだと思いますが、イエス様はその群衆を振り向いて、「わたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であ... つづきを読む

2022年8月28日 年間第22主日の説教 

聖書によると、神様は土で人間を造り、ご自分の息吹を吹き入れて生きるものとされましたが、高慢な心で神様に背いて罪を犯した人間は、その罪のために神様の前から追い払われました。その時、神様は人間に対して「塵にすぎないお前は塵に返る。」とおっしゃいました。それは人間を呪う言... つづきを読む

2022年8月21日 年間第21主日の説教 

司祭はミサの中で、度々手を広げて祈りや他の式文を唱えます。その動作には色々な意味がありますが、大体二つにまとめられます。その一つは、祈りや式文に込められている共同体の願いを神様に捧げるという意味です。司祭は自分の両手にその願いを載せて高く上げ、神様に捧げます。そして... つづきを読む

2022年8月14日 年間第20主日の説教 

ミサの中で、司祭は「主の祈り」に続く祈りを唱えた後、「平和を願う祈り」を唱えます。それは「主イエス・キリスト。あなたは使徒に仰せになりました。わたしは平和を残し、わたしの平和をあなたがたに与える。わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、お言葉の通り、教会に平和と一... つづきを読む

2022年8月7日 年間第19主日の説教 

今日の福音は、世の終わりの日に来るべきキリスト・イエス様の再臨についての御言葉です。イエス様の再臨に関しては、ミサの中で告白する使徒信条にも書いてありますが、その日、イエス様は「生者と死者を裁くために来られる」こととなっています。その裁きによって、信仰を堅く守り、ま... つづきを読む

2022年7月31日 年間第18主日の説教 

今日の第一朗読はコへレトの御言葉ですが、わたしは初めてコへレトを読んだとき、少し驚きました。なぜなら、その御言葉によると、世の中のあらゆるものがすべて意味がなくて、空しいもののように見なされるからです。そこで、「なぜ、コヘレトの御言葉は、神様が造られたすべての良いも... つづきを読む

2022年7月24日 年間第17主日の説教 

今日の福音は、イエス様が祈っておられたことから始まります。そして、イエス様が祈りを終えた後、一人の弟子がイエス様に祈りを教えてくださるようにと願いました。そこで、イエス様は弟子たちに「主の祈り」を教えてくださり、さらに、祈るときの心の姿勢についても教えてくださいまし... つづきを読む

2022年7月17日 年間第16主日の説教 

今日の福音で、マルタは喜んでイエス様を自分の家に迎え入れました。ところが、それから彼女はとても忙しくなり、イエス様の一行だけでなく、多くの人たちにもてなしをしなければなりませんでした。それは、イエス様がマルタの家におられると聞いて、その村の人たちがその家に訪ねてきた... つづきを読む