日本二十六聖人殉教者に献げる私たちの祈り
二俣川教会のメンバーが献げる新しい祈りの紹介
当教会の守護聖人、日本二十六聖人殉教者は1862年に列聖されました。教皇ピオ九世が司式していた聖霊降臨のミサの中での発表によって、キリシタン迫害時代に生活を送った二十六名の方が、それで初めて〝聖人〟と見られるようになったわけです。そして今はその二十六名の聖人は二俣川にある教会、つまりわたしたちみんなのために、特に重要な使命を果たし続けていると考えられます。その使命とは執り成しの祈りを献げるという〝務め〟であると言えましょう。つまり二十六聖人はわたしたちの兄弟、仲間として今の世界の中にいるわたしたちを助けようとの努力を示しているのです。では、そういった『聖徒の交わり』を十分に味わうために一つの祈り、いわゆる信心業を新たに創って皆さんに提供しようと思いました。その祈りを献げることによって二十六聖人が教会に主キリストの救いを示し、また教会を支え続けるように願おうではありませんか。
今から紹介しようと思っているのは新しい発想となるものであるかもしれません。そもそも信心業というのは、今までどの時代の中でも次々と教会の歩みに伴ってたくさん現れたということがよく分かります。特に世界教会が一番共通する信心業は二つあります。それは『ロザリオの祈り』と、また『十字架の道行きの祈り』なのです。しかし国、また地域によって同じ信仰を宣言することを目的とした信心業、祈り方が形づけられたものがものすごく多く見られます。ところでそれぞれの教会の守護聖人の祝日が、そういったオリジナルの祈り方が登場した主な機会でもあります。非常に多様的な世界ですが、それと同時に多くの祈りは共通した構成要素を活かすケースも当然よくあるといえます。したがって、わたしたちの信心業は馴染みになったロザリオという流れを基礎にしたものです。それは今まで例のない新しいニュアンスを付けた祈りです。そしてこの祈りは信じる心を育てる力があるのではないかと考えられます。
では、その新しい祈り、信心業を説明する前に、先ずキリスト信仰者が『ロザリオ』と名づけた古くから爪繰られる数珠が辿った道を考察することは必要であると思います。数珠は時代あるいは所によって種々の適合を通して、祈りに伴う手段となって宗教を問わず多くの人の生活を支えてきたものであるし、ロザリオこそ歴史の中で多様的な祈りをともなった物であるといえます。それに伴う主な段階を見てみましょう。
ロザリオの歴史
「ロザリオ」という名はロザリオの数珠をも意味します。ロザリオに数珠が使われるようになったのは十四世紀で、主の祈りや他の祈りを繰り返して唱える際の勘定の道具として用いられていたものです。仏教でも数珠が用いられているように、他の宗教の間にも、似た習慣があります。
聖母マリアに対する信心が様々の要素を含んでいるために、ロザリオの祈りの歴史は複雑です。十二世紀に、マリアの五つの喜び(お告げ・誕生・復活・昇天・被昇天)と関連して、アヴェ・マリアの祈りを繰り返えして唱える慣わしが生まれました。やがて、七つの歓喜が表れ、さらに十五連の喜びが案出され、詩篇の百五十篇に対応して、百五十回のアヴェ・マリアの祈りを唱えるものが生まれました。そして、十三世紀から十四世紀にかけて、フランシスコ会員などによって、七つの悲しみ、マリアの七つの悲しみなどの信心が広まりました。他方これに反応してマリアの天上の喜びに対する信心も生まれました。
十四世紀には「ロザリオ」が花摘みとの関係で人の思いや詩を綴った小さな詩集などの呼称となりました。そして、福音書の「アヴェ・マリア」を詩節の終りにつけた一連の詩が「マリアのロザリオ」と呼ばれました。
十五世紀に入ると、キリストとマリアの生涯の諸場面を百五十回のアヴェ・マリアの祈りに付け加えて唱えるものが現れ、さらに十五世紀半ばになって、キリストの神秘の基本である受肉、御受難、復活を踏まえて、百五十回のアヴェ・マリアの祈りが、「喜び」と「悲しみ」と「栄光」の三つの神秘に分けられ、今日唱えられているような形式が整ってきました。その後ヨハネ・パウロⅡ世によって「光」という神秘が加えられました。
ロザリオの霊性
教会は教皇たちの口を通してロザリオの優れた面について述べています。ロザリオは大衆のための「教会の祈り」と呼ばれており、全福音の大要、神の子の神秘を中心に置いた祈りであり、マリアに対する連願の形をとったアヴェ・マリアの祈りの唱え方はキリストに対する途切れることのない賛美であると教えています。さらに、リラックスして潜心して行われれば、キリストに最も近い方、聖母マリアの目を通して主キリストの生涯を黙想し、また、観想することもできます。
福者ヨハネ・パウロ二世教皇によって「光の神秘」の五連―①イエスの洗礼、②カナの婚礼における最初のしるし、③神の国の到来を告げ、回心に招く、④タボル山における変容、⑤最後の晩餐における聖体の秘跡の制定―が加えられたことによって、詩篇百五十遍との数字合わせは崩れましたが、私たちを救いに導くキリストの生涯とその神秘はより充実したものとなり、福音の大要がより明確になりました。
二十六聖人への祈りの形式
以上の説明で、『ロザリオ』と呼ばれるようになったものは、実際数世紀まえにさかのぼると「主の祈りや他の祈りを繰り返して唱える際の勘定の道具として用いられていたもの」だと分かります。そういった様々な背景に基づいてロザリオをこの新しい祈りに新たに利用することが可能ではないかと考えました。では、二十六聖人殉教者列聖150周年にも当たって次のアイディアを活かしていきたいと思いました。つまりアヴェ・マリアの祈りに加えて「日本二十六聖人殉教者への祈り」を唱えるもう一つの『ロザリオ』、信心業との発想なのです。そのロザリオによってキリストにおける救いを最もはっきり示してくれる方、聖母マリアならびに二俣川教会の守護聖人と定められた二十六聖人殉教者の一人一人の目を通して主キリストの生涯を黙想し、また、観想することもできるようになれば幸いです。
ところで、住吉教会(大阪教区)は二十六聖人の内にいる聖パウロ三木が守護聖人となっています。そこで住吉教会で作成された祈りの文を基にした二俣川教会の新しい信心業の形式を作りましたので、紹介させていただきたいと思います。
日本二十六聖人殉教者への祈り
日本二十六聖人殉教者よ、あなたがたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、キリストのためにいのちをささげました。
私たちが、あなたがたにならい、勇気を持って信仰のあかしをたてることができるように導いて下さい。私たちがどんな試みにあっても、終わりまで耐え忍ぶことが出来るように力づけて下さい。
私たちがキリストの栄えを求め、救いのために働くことが出来るように取り次いでください。
アーメン
唱える時に
ロザリオを利用してその祈りを唱えるとき、「日本二十六聖人殉教者」の言葉の代わり、次々、順番に26聖人の名前を入れて26の祈りを新たにつくることができるわけです。たとえば、
先 聖パウロ三木〔あるいは、聖フランシスコ吉などと、次々に〕よ、あなたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、キリストのためにいのちをささげました。
一同 私たちが、あなたにならい、勇気を持って信仰のあかしをたてることができるように導いて下さい。私たちがどんな試みにあっても、終わりまで耐え忍ぶことが出来るように力づけて下さい。
私たちがキリストの栄えを求め、救いのために働くことが出来るように取り次いでください。
アーメン。
日本二十六聖人殉教者にささげるロザリオの祈りです。
ここをクリックしてください。⇒ 「二十六聖人ロザリオの祈り」
さて、どうロザリオを活かして唱えるようになるかについて説明しましょう。
先ず、通常のロザリオの祈りと同じように最初は「信仰宣言」の祈りを唱えます。次に「主の祈り」、また「アヴェ・マリアの祈り」を一回唱えます。ここまでは変わりはありません。次の祈りは初めて二十六聖人の一人への祈りを唱えます。その祈りは先に書いた『聖パウロ三木への祈り』にします。その後、もう一回「アヴェ・マリアの祈り」を唱えます。また続いて「栄唱」を唱えます。(通常通り)
そして通常通り第一玄義を黙想してから第一連に移ります。「主の祈り」で始まります。その次は、交代で「アヴェ・マリアの祈り」また「二十六聖人の一人への祈り」(次々名前を入れるという形)を唱えます。そうすると「アヴェ・マリアの祈り」を5回、「二十六聖人への祈り」を5回を唱えるようになるわけです。5連があるので25聖人への祈りを唱えるようになったでしょう。25人+最初の1人=26聖人です。
いかがでしょうか。『二俣川教会におけるロザリオの祈り』をユニークでいつまでも豊かに唱えるようになるのではないでしょうか。それが『信心業』そのものなのです。
参考:二十六聖人の名前
聖パウロ三木 _ 聖フランシスコ吉 _ 聖コスメ竹屋
聖ペトロ助四朗 _ 聖ミカエル小崎 _ 聖ディエゴ喜斎
聖パウロ茨木 _ 聖ヨハネ五島 _ 聖ルドビコ茨木
聖アントニオ _ 聖ペトロ・バプチスタ
聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン _ 聖フィリッポ・デ・ヘスス
聖ゴンザロ・ガルシア _ 聖フランシスコ・ブランド
聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル _ 聖マチアス _ 聖レオン烏丸
聖ボナベンテゥラ _ 聖トマス小崎 _ 聖ヨアキム榊原
聖フランシスコ医師 _ 聖トマス談義者 _ 聖ヨハネ紺屋
聖ガブリエル _ 聖パウロ鈴木
2012年4月1日
二俣川教会主任司祭 ジャック・グルニエ