ノアの箱舟のような2か月近くの体験
〜 神戸からブエノスアイレス港へ渡るときに出会った教会 〜
どこへ行くのか、どんなところに到着するのか?
私がアルゼンチンのサレジオ会志願院(小神学校)に入った時、耳にした歌があります。それはイタリアのサンレモ・フェスティバルでとても人気になった「ノアの箱舟」(セルジオ・エンドリーゴ作詞、イヴァ・サニッキ作曲)でした。歌詞には「わたしの船は出港するがどこに着くかそれは知らない、ノアの箱舟のようだ」とありました。先輩たちの歌うのを聞き、私も歌いたくなりました。音楽の先生であった司祭は全員に暗記させ、一年間ずっと歌いました。スペイン語でしたが全員で歌う繰り返しのところだけ元のイタリア語で覚えました。「Partirà, la nave partirà / dove arriverà, questo non si sa. / Sarà come l’Arca di Noè…」。多くの仲間たちの祖父母はヨーロッパから移住した家族でしたので、この歌は聖歌のように私たちを一致させてくれました。志願院では毎日サッカーの練習時間に、14~18歳の60人以上の男子が大きな声で歌いました。この歌は私に、日本からアルゼンチンへの移住の旅を思い出させてくれました。8歳半の私と4人の弟と30代だった両親にも、この海の旅はまるで「ノアの箱舟」のようで、どのようなところに到着するのか想像もできませんでした。
途中で停まる港々で街の教会を探す
日本を離れて15年ほど過ぎた頃、私は神学生でした。霊的指導者に勧められたカルメル会カルロス・メステルス師の『アブラハムとサラ(信仰体験)』(注)を読み、私の父も神の呼びかけに従ってアルゼンチンに移住したことを悟りました。そして「ノアの箱舟」を歌いながら、1964年5月31日に神戸を出港して、横浜、ロサンゼルス、パナマ、ベネズエラ、べレム、レシフェ、サントス、モンテビデオを経て、7月20日にブエノスアイレスに着港するまでの旅を思い出しました。年をとるほど感動する父の思い出があります。それはパナマに数日間船が停まった時、2人でカトリック教会を探したことです。その時見つけた教会が、今回のワールドユースデーパナマ大会2019で何度もその横を通ったドン・ボスコ聖堂、パナマの守護者の教会でした。それからアルゼンチンに着くまで、ブラジル丸が停まった港では父と私、または家族7人で町の教会を必ず訪問しました。若い両親は2か月近く、ミサに一度も参加できなかったと思います。でも訪れた教会では、父の片言のスペイン語で何回かご聖体をいただくこともできました。そして必ず聖母の御像の前でアベマリア、またはロザリオを捧げました。
今年から船員司牧(AOS)に司教としてかかわり、私の経験を分かち合える時が訪れたことを神様に感謝しています。海で働く船員たちとその家族のためにともに祈り、日本の港町、そこにあるカトリック教会は、常に船員の癒しの場であり、祈り温かく歓迎する家であることを、一緒に証ししていきましょう。