今日は復活節第三主日です。今日の福音は、復活されたイエス様の三回目のご出現について語りながら、イエス様の慈しみと憐れみ、また、愛を見せてくれます。今日の福音で、イエス様はペトロと六人の仲間たちに現れ、彼らの漁を助けてくださいました。その次第は、ペトロが「わたしは漁に行く。」と言い、そこで、他の六人も一緒に出掛けたということから始まります。彼らは夜通し労苦して漁をしましたが、何も取れませんでした。しかし、夜明け頃、岸に現れたイエス様の助けをいただいて、多くの魚を取ることができたのです。それから一同はイエス様と共に朝の食事をし、その後、イエス様はペトロと話し合いながら、彼の使命を改めて悟らせてくださいました。

今日の福音を黙想しながら、わたしはペトロの心と行動が気になりました。彼は突然漁に行こうとしたようです。その時の彼の心はどのような状態だったでしょうか。なぜか、寂しいようにも見えます。ペトロのその突然の行動が気になったのか、他の六人も彼と一緒に出かけました。しかし、彼らの漁は失敗しました。しかも、疲れ果てた彼らには食べる物すらありませんでした。そのまますべてを諦めて家に帰らなければならなかったちょうどその時、イエス様が彼らに現れ、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」とおっしゃったのです。すると、舟に網を引き上げることができないほど多くの魚をとることができたわけです。その時、イエス様が愛された一人の弟子がペトロに「主だ。」と言いましたが、その声にペトロは、はっと昔のある出来事を思い起こしたでしょう。思わず上着をまとって湖に飛び込み、イエス様に向かって泳ぎ始めたのです。ペトロの頭に浮かんだのは、自分が初めてイエス様に呼ばれた時のことでした。あの時ペトロはイエス様を疑いながらも、イエス様の指示に従って漁をし、多くの魚を取った後は自分のすべてを捨てて、イエス様に従う弟子としての道を歩き始めたのです。その思い出が浮かんでから、ペトロはもはやそのまま舟にいられませんでした。百メートルの短くはない距離を泳いで、イエス様のおられる岸に行ったのでしょう。それからの彼の行動は正気を失った人のようにも見えるほどでした。彼はイエス様が「今とった魚を何匹か持って来なさい。」とおっしゃったとたん、急いで船に乗り込んで、六人が引き上げられなかった重い網を陸に引き上げました。一体なぜ、ペトロは突然漁に行き、また、イエス様に会ってからは、正気を失ったかのように行動したのでしょうか。それは勿論、イエス様と再び出会ったからとも言えますが、他の理由もあるのではという気がします。

きっとペトロは、これから自分がどう生きるべきかが分からなかったでしょう。イエス様は復活されましたが、三度もイエス様を裏切ったペトロは、まだ死んだままだったかのようでした。彼は機会があれば、罪深い自分をイエス様に赦していただきたかったはずです。でも、彼にはまだその機会が与えられなかったし、与えられたとしても勇気が出なかったでしょう。そこで、彼は自分の元の仕事、すなわち、漁に夢中になってでも、自分のすべての過ちを忘れたかったかもしれません。そんなペトロに現れたイエス様は、彼にもう一度立ち上がる機会を与えてくださったのです。岸に立っておられたイエス様は、夜通し何もとれなかった弟子たちに多くの魚を取らせ、彼ら、特に、ペトロをイエス様との初めての出会いの現場に導かれました。ペトロにとってその導きは、イエス様に赦されるに逃してはいけない機会だったでしょう。そこで、彼はもっと積極的に行動したに違いありません。それほど、彼は何とかしてでもイエス様に赦されたかったからです。しかし、イエス様は急ぎませんでした。イエス様にとって大事なのは、夜通しの漁で疲れ、また、飢えに苦しんでいる弟子たちを食べさせることと、慰めることだったでしょう。

その朝の食事の後、イエス様はペトロと話し始められました。それはイエス様が質問し、ペトロが答える形でしたが、イエス様の三回の質問はただ一つ、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ということでした。ペトロは二回までは堂々と「はい。」と答えましたが、それもイエス様に認められたかった彼の心の表れだったでしょう。しかし、三回目には悲しみ深い声で、「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えました。彼は自分の弱い信仰を素直に認め、更に、自分のすべてを捨てて、イエス様に自分自身を任せることとしたのです。ところで、イエス様は彼の答えごとに「羊を飼いなさい。世話をしなさい。」と命じられました。それは「わたしを愛しているならば、同じ愛で、わたしの羊を飼い、彼らの世話をしなさい。」という意味でしょう。こうして、イエス様はペトロを赦し、また、彼が歩むべき道を示してくださいました。その道とは羊の群れを飼う道、世話する道、彼らに仕える道であり、その道を歩むことによって、イエス様への愛を証しすることができるのです。でも、それはただペトロだけにではなく、他の弟子たちやわたしたちにも当てはまることでしょう。

実は、今日の福音に登場したその七人の弟子たちは教会を象徴していて、わたしたちは今日の福音が教会について話しているのが分かります。改めて、茫然としていたペトロと一緒にいた六人の弟子たちを考えてみたいと思います。きっと彼らはペトロの支えとなったでしょう。そして、彼らもペトロと一緒に復活されたイエス様に出会い、自分たちの使命を再び悟ったはずです。わたしたちは皆、弱い信仰、希望、愛を持って信仰の道を歩みながら、度々、その道から離れがちな者です。ですから、互いに支え合い、世話し合い、愛し合うべきで、そのように生きる私たちの真ん中に、イエス様はおられるはずです。これからも、この信仰の道をみんなで共に歩み続けましょう。

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