今日の第1朗読で、アダムを創造された神様は、彼の協力者として女を造られました。そのきっかけは、「独りでいたアダム」を神様が望ましくない、良くないと思われたことでした。事実、神様はエデンの園にすべての自然万物を整えて、そこで人間が住むようにしてくださいました。そして、人間が協力をもらうため、神様はあらゆるものを造られましたが、そのすべてのものから、彼は自分に合う協力者を見つけることができませんでした。そこで、神様は、アダムを「深い眠りに落とされ、彼が眠っている間、その体からあばら骨を抜き取り、その後を肉でふさがれました。そして、そのあばら骨で女を造り上げ、彼女をアダムの協力者とされた」のです。その女を見たアダムは、彼女こそ「自分の骨の骨、自分の肉の肉」だと言いながら喜び、彼女と結ばれ、一体となったわけです。

創世記が語っているこの「男と女の創造の話し」から、わたしは二つのことを、信者の皆さんと分かち合いたいと思います。先ず、一つは「いわゆる、夫婦の特別な絆」です。その絆に関して、今日の福音でイエス様は明確に教えられました。イエス様はファリサイ派の人々から「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか。」という質問を受け、夫婦の絆についてはっきりと教えられたのです。その教えの中で注目したいのは、夫婦とは神様が結び合わせてくださった絆であるということです。イエス様は天地万物の創造のことを思い起こさせながら、その絆が人間ではなく、神様の永遠の計画によるものであるのを明らかに教えられました。その神様の計画とは、ご自分の創造の御業が続けられることで、神様はご自身が造られたすべてのものを、夫婦という特別な愛の共同体と、その愛の絆の実りである人間の子孫たちが、良く管理し、また、守ることを望んでおられたわけです。

ここに今日、信者の皆さんと分かち合いたい二つ目のことがあります。それは、「夫婦の絆による創造の完成」と言うことです。創世記に記されている天地創造の次第をよく見ると、神様に造られたすべてのものは人間のためのものであることが分かります。神様はそれらすべてを任せるために人間を造られ、その人間の創造をもって、ご自分の最初の創造作業を終えられました。しかし、その人間、つまり、アダムはずっと独りであって、彼は神様が造ってくださったすべてのものから、自分の協力者を見つけることができませんでした。言い換えれば、人間を助けてくれる被造物がなかったということですが、そのままでは、神様の創造の御業は完成されたとは言えなくなってしまうでしょう。そこで、神様はアダムから抜き取ったあばら骨で女を造られ、アダムに与えられ、ご自分の天地創造の御業を完成されたのです。その天地創造の話は勿論、神様が間違えたということでなく、神様は人間をそれほど愛してくださる方であることを説明するための話ですが、とにかく、女の創造によって、自然万物と人間はもっと完全で豊かなものになったのです。

このように、夫婦の絆はとても特別なものですが、残念なことに、神様の民であるイスラエルは、律法の掟を通してその絆を切ることができるようにしました。それは、夫が妻を離縁する際に渡す、いわゆる「離縁状」というものによって離縁できるというものです。しかし、それは結婚と夫婦の絆の大事さを教えるための規則であって、決して離縁を合法化するためのものではありませんでした。けれども、多くの男性たちはその規則を悪用し、自分の妻を離縁していたのです。今日の福音でイエス様は、その規則を悪用している人たちを戒められました。そして、神様が人を男と女とに造られ、神様ご自身が夫婦の絆の結び主であるのを明らかにされました。その絆によって、天地創造の御業がもっと完全で豊かになり、その絆の実りである人間の子孫によって、その御業が続いていくのです。それこそが、神様が望んでおられる創造の完成で、夫婦の絆から生まれた人間は、自分に任せられたいろいろな仕事を忠実に務め、創造の完成に与るわけです。

残念で悲しいことですが、現代の世の中では、安定した結婚生活や、子供の育児、家族への満足な世話に対する不安や悩みが増しています。他人と闘うような姿勢をもって生きなければ、生き残ることさえできないほどの厳しい状況の中で、夫婦の絆や家族の絆を守ることも難しくなっているようです。様々な技術や知識は発展していますが、人間の毎日はその発展とともに、どんどん忙しくなり、自分や他人の存在意義などに、目を凝らす余裕もありません。そんな私たちを悟らせようとするかのように、今日の第2朗読で使徒パウロは、救いの創始者であるイエス様は数々の苦しみを通して完全な者とされたと言いながら、すべての人がイエス様と同じ一つの源から出ているとも語っています。その同じ一つの源とは、勿論、愛の神様でしょう。神様は全ての人の救いと完成のためにイエス様を遣わされ、イエス様の苦しみと死を通して、すべての人に真の人生の道を示してくださいました。それは、愛の道で、わたしたちはその愛の道を歩むことによって、まことに自分を完成することができるのです。教会はその道を歩む人たちの集いであり、教会こそ、キリストに愛される花嫁として存在しなければなりません。愛が疑われる現代の世の中で、教会は愛のしるしとして、神様に立てられています。教会の人々はイエス様の脇腹から流された洗礼の水と命の血から生まれた人たちです。その同じ源から生まれた私たちの絆をもっと強くし、世の中の人々に救いの道を示すことができるように、神様がわたしたちの中で、熱い愛の心を燃え上がらせてくださるよう、お祈りいたします。

☆原文のPDFファイルはこちらをクリックしてください2021年10月3日姜神父様のお説教

★Please click here for the FURIGANA version) 2021年10月3日姜神父様のお説教ふりがな付き

☆彡新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のしための祈り ⇒ COVID-19inoriB7i