今日の福音は、先週と同様、最後の晩さんでのイエス様のみ言葉を語っていますが、その場面は、ある意味、弟子たちとのお別れの現場でもあるので、少し悲しい気持ちになります。しかし、イエス様はその悲しくて寂しい時でさえも、弟子たちを力づけ、また、励ましてくださいました。それは、イエス様ご自身が復活することに対する予告であり、今までとは違う形で弟子たちと再会するという「約束」でもあります。その約束を通して、イエス様は悲しみと苦しみに包まれていた弟子たちに、新しい希望を抱かせようとされたわけです。
それを約束するにあたって、イエス様は先ず、「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」とおっしゃいました。この御言葉は、イエス様との再会、つまり、弟子たちが復活されたイエス様と再び会うための条件を示す言葉でもあります。言い換えれば、イエス様の死によって、そのイエス様への信仰と希望と愛とを失ってしまったら、そして、そのイエス様が命じられた「互いに愛し合いなさい。」という掟を忘れてしまったら、復活されたイエス様に会うことはあり得ないということでしょう。しかし、まだ最後の晩さんでイエス様と一緒にいる弟子たちは、その晩さんがイエス様との最後の集いであるとは思っていなかったし、イエス様が亡くなられることを想像さえしていなかったはずです。そして、イエス様が亡くなった後、自分たちはどれほど絶望し、また、イエス様への信仰と希望と愛とがどれほど弱くなってしまうのかも、理解していなかったに違いありません。しかも、自分たちがそんな状況になった時、『どうしてイエス様と顔を合わせて再会できるだろう。』などと思っていたかもしれません。
そこで、イエス様は彼らに、「別の弁護者、真理の霊」について語られました。その霊とは、勿論、聖霊のことで、イエス様は最後の晩さんで悩んだり、苦しんだり、或いは、戸惑っていた弟子たちに、その聖霊の降臨を約束してくださったわけです。イエス様は、「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」が、ご自分の弟子たちはその「霊を知っている。」とおっしゃいました。しかし、果たして弟子たちは本当にその霊を知っていたのでしょうか。そこで、イエス様は、「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」とおっしゃったわけです。それは、ご自身が常にその霊と共におられ、ご自身を通してその霊がすでに弟子たちと共におられるということでしょう。また、その聖霊が弟子たちに遣わされると、それからはいつも弟子たちの内に聖霊がいてくださるということです。そして、その聖霊を通して、御父とイエス様との一致、交わりが分かるようになり、その交わりに弟子たちも与るようになるのです。
その交わりに与らせるため、イエス様は弟子たちに弁護者である聖霊を遣わすことを約束してくださいました。その弁護者によって、弟子たちはイエス様の死の後、弱くなった信仰や希望、愛を回復し、自分たちの罪と過ちから解放されるのです。そして、自分たちがいただいた神様の慈しみと愛によるゆるしと癒しの恵みを、多くの人々に施し、更に、イエス様の福音を証しするために遣わされます。そこで、彼らには真理の霊が授けられ、その霊の力に支えられて、至る所でイエス様の福音を宣べ伝えながら、数多くの人々を神様への信仰と希望、また、愛の道に導くことができるようになるわけです。きっと、イエス様は弟子たちが行く至る所で、色々な姿で彼らにご自身を現されるはずです。時には貧しい人の姿で、時には病に苦しむ人の姿でご自身を現し、悩んでいる人や涙している人、愛と慈しみに渇いている人の姿になって現されます。それらの人たちのところへ、聖霊は弟子たちの歩みを導いてくださいますが、それは、今の時代のわたしたちにも同様でしょう。わたしたちも聖霊によって力づけられ、信仰と希望と愛とを新たにし、その聖霊に導かれて信仰の道を歩むべきです。その聖霊に導かれて、わたしたちはみ言葉を宣べ伝え、また、善い業を行うことによって、わたしたちはすでに神様の一致に与る喜びの中で生きることができるのです。それこそが、神様がわたしたちを愛しておられるしるしなのです。
さて、今日の福音の中でイエス様は、同じ意味の言葉を異なる形で言われました。それは「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」という言葉と、「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛するものである。」という言葉です。これは、最後の晩さんでイエス様を見ていた弟子たちも、今その晩さんの記念であるこのミサに与って、パンとぶどう酒の形のイエス様を見ているわたしたちも、「互いに愛し合いなさい。」という掟を守ることによって、イエス様を愛していることを証ししなければならないという意味のようにも聞こえます。互いに愛し合うこと、それはイエス様の掟であり、神様に愛されていることの証しでもあります。これからも、その愛の道を共に歩む共同体として成長していけますよう、お祈り致します。