姜真求神父 聖霊降臨の主日の説教

 

いよいよ、今年の復活節が今日をもって終わります。今日は聖霊降臨の主日で、典礼的には復活節の最終日でもあります。愛と命の源である神様は、イエス・キリストの受難と復活を通して人間を罪と死から救い、その救いの実である永遠の命を私たちに約束して下さいました。そして、その救いの御業を続ける務めを教会に任せ、教会の務めである秘跡と愛の行いや働きによって、ご自身の救いの御業が続くようにして下さいました。それで教会は毎年、通常の主日のミサより盛大な形で、イエス様の受難と復活を記念する典礼を通して、信者の皆さんが神様の愛によって救われたことをはっきりと表しているのです。

 しかし、今年の四旬節や復活節はとても寂しくて悲しくて、個人的には自分が今まで経験してきた全ての四旬節と復活節よりも、はるかに長かったと感じられるほどです。勿論、それは私だけではないと思いますが、新型コロナウィルスの威力がこれほどのものとは、想像すらしませんでした。また、人間がどれほど弱い生き物なのかについて、改めて顧みるようにもなりました。様々な医療や科学技術を発展させて、所謂「人生百年」という素晴らしい時代を過ごしていますが、この目に見えない病気との戦いはまだ終わりが見えません。そればかりか、そういう華々しい技術や知識を誇った人間は、今になって、世界の隅々の苦しみに向かって目を向ける余裕さえ持つことができない状況に陥っています。むしろ、自分の安全や自分の国の現実だけを気遣い、最も苦しんでいる隣人や国に対しては、無関心となっているのではないかという気がします。そして、皆が一つになって、この危機を一緒に乗り越えることがなかなか難しいかなという感じもあります。どうか、神様が私たちを一つに結んでくださり、また、神様ご自身の力が現わされて、この危機から私たちを救ってくださることをお願いいたします。併せて、私たちが一人の信者として、また、共同体の教会として、なすべきことを悟らせて下さるようにとお祈りいたします。

 事実、今日の聖霊降臨によって生まれた教会は、全ての命を守る責任を持っています。教会にその責任が与えられているのは、教会の一人一人が罪と死から解放されたからです。しかも、教会の皆が自分の能力でなく、神様の御独り子であるイエス様の聖なる奉献によって救われ、神様の永遠の命に与ることができたので、教会に命を守る責任があるのは全然おかしいことではありません。言い換えれば、全ての人、特に、信仰のある私達は神様に大きな負い目があるということです。それは今日の福音からもよく分かります。復活されたイエス様は、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」弟子達に現れ、彼らに二回にわたって平和の挨拶の言葉をかけて下さいました。再びイエス様の姿を拝見した弟子達の心は喜びで満たされました。併せて、イエス様は彼らに聖霊の徴である息を吹きかけながら、罪の赦しの権限を彼らに与えて下さいましたが、その権限の授与は派遣の御言葉と共に行われたのです。

 死に打ち勝たれたイエス様のこの御言葉や行為は、弟子たちにとって意味深い出来事に違いありません。実際、弟子たちは自分たちが信じてきたイエス様の死の前で深い疑いに陥り、また、大きな罪責と衝撃に覆われてしまいました。イエス様にかけた希望が無くなって、ただ、色々な不安や心配だけが残ったはずです。彼らは、まるで、死んだかのようなパニック状態に陥ってしまったのです。そんな状態の弟子たちにとって、イエス様の復活の事実は何と意味深い出来事だったでしょう。それはイエス様の御言葉と神様の救いの御業の正しさについての明確な証し、弟子たちの弱い信仰に対しての慰めと赦し、イエス様との和解、絶望の中での希望、真の命とその命に与る人々の真の平和などを意味する素晴らしい出来事だったのです。

 今日、私たちが記念する聖霊降臨は、弟子たちが経験したイエス様の復活の意味を一層深め、また、はっきりとしてくれる出来事です。イエス様は常に神様の望まれることを伝え、それに背くすべての偽りや偽善、悪い企てと戦われました。そして、そのせいで苦しんでいた人々に、福音の喜びと祝福を与えられました。今日、聖霊を受けた弟子たちは、隠れていたところから飛び出て、そのイエス様の復活の事実を公に証言しました。それはイエス様の福音の勝利、神様の真理の勝利についての宣言でしたが、それができたのは聖霊に導かれたからです。今の時代の教会も同じです。教会の道はイエス様の道で、聖霊に導かれて歩む道でしょう。今の時代の教会もすべての悪と偽りと偽善との戦いを恐れてはいけません。

 また、同じ聖霊に励まされた弟子たちは、自分たちを覆っていた様々な恐れ、罪責、愚かさから解放され、自分たちの言葉に耳を傾けたすべての人々に、神様との和解を勧めました。愚かな者だった自分たちも、 イエス様からの赦しと慰めを得て神様と和解できたからでしょう。そのように、教会の人々である私たちも赦しと和解の生き方によって、神様の愛の証とならなければなりません。色々な咎と過ち、悪い習慣に染みてきたことを認めつつ、互いに赦し合い、励まし合うことが、私たちの正しい道なのです。

 こうして、私たちは弟子たちがいただいた神様の命と真の平和に与ることができます。その命と平和は、復活されたイエス様が、死んだかのように隠れていた弟子たちに自ら授けられたもので、まさに、私たちも同じ賜物を聖霊から頂いています。幸いに、私たちは去年11月、福音の使徒であり、平和の使徒である教皇様から、その命の価値を悟り、また、互いの命を支えることの価値の大事さを学びました。個人的なことですが、私はその経験も、私たちにとって聖霊による神様の素晴らしい御業だと思います。これからは私たち自身が福音の使徒・平和の使徒・命の使徒となるべきでしょう。

 さて、去年と同じく、今年も聖霊降臨のカードを作りました。その作業を共にして下さった多くの青年と教会学校の子供達、また、信者の皆さんに感謝いたします。これからミサが再開されたら、皆さんの手に届くことと思います。でも、それはただの記念品やお守りではありません。皆がそれぞれ手に入れた聖霊の賜物を祈り求め、その意味を悟り、また、互いにその賜物を実際の行動を通して分かち合うことが大事なことです。この病気のため世界は患っています。まだ、先が見えないトンネルの中を歩んでいるような現実ですが、私達信仰のある人々の行いを通して、すべての人に聖霊の賜物が与えられ、また、すべての命が守られるよう、お祈りいたします。命の与え主聖霊よ、私たちを命の使徒・平和の使徒としてください。アーメン。

カトリック二俣川教会主任司祭  ヤコブ姜 真求

 

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