今日は神の母聖マリアの祭日です。神様はご自分の独り子であるイエス様の母としてマリアを選ばれ、すべてのものの救いのために、イエス様の使命を共にすることを望まれました。それは一見すると素晴らしい使命で、そういう使命を果たす人の母となることは当然、栄光であると思われるはずです。しかし、そのイエス様の使命とその使命を共にすることは、易(やさ)しくて楽なことではありませんでした。実際、マリアはおとめとしてイエス様を宿し、律法に沿って殺される危機に遭いました。勿論、ヨセフが保護者として定められていましたが、彼は貧しい大工に過ぎませんでした。しかし、神様はこの貧しい夫婦にご自分の大事な独り子を委ね、彼らがイエス様を育てながら、神様の愛による救いの活動に与るようにしてくださいました。特に、マリアはイエス様の誕生のお告げを受けてから十字架の死に至るまでずっとイエス様と一緒でしたし、主の復活にも、昇天にも立ち会いました。併せて、聖霊降臨から始まった使徒たちの教会でも、イエス様の母であり、使徒たちの母として、同じ愛を持ってその幼い教会を育(はぐく)んでくださいました。そして、今もマリア様は、教会の母として、この世の終わりまですべての人のために祈ってくれるのです。

今日の福音で、ベツレヘムの馬小屋に見慣れぬ羊飼いたちが訪れてきました。昔から、羊飼いたちは荒れ野で羊の群れと一緒にいることが常(つね)でした。それは衛生のためだと言われますが、彼らが世の中でどれほど弱い立場の人であったのかを表すことでもあります。彼らは世の中の人たちから忘れられ、また、見捨てられたような人々でした。しかし、イエス様はそういった人たちを馬小屋にまで導き、貧しい両親とご自身の弱い姿をありのままに見せてくださいました。その時、羊飼いたちは天使から聞いたことを周りの人たちに伝えましたが、その話の中には「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」という天使たちの賛美の歌もあったはずです。確かに、イエス様の誕生は神様の栄光を現わすため、また、御心に適う人々に真の平和を与えるために来られました。そして、神様の栄光を現わすために働く人が神様の御心に適う人で、彼らに真の平和が与えられることを示されました。神様の栄光のため働くことは当然、愛を行うことでしょう。イエス様の平和は愛を行う人々に与えられる平和で、自分をへりくだる人だけが味わえる平和であり、そういった人たちだけが分かち合える平和なのです。高慢な人たち、自分の知識や知恵を強要する人たち、世の中の様々な力を振るう人たち、また、そういう人たちに従う人たちは、絶対に得ることも与えることもできない、神様の真の平和なのです。マリアは神様の愛であるイエス様を育てながら、真の平和を育んだに違いありません。そういうわけで、教会はマリアを神様の母、また、平和の元后と呼ぶのです。

今日は世界平和の日でもあり、今年もフランシスコ教皇様は世界平和の日のメッセージを配信しました。今年のテーマは「平和への道のりとしてのケアの文化」ということで、わたしはそれを「支え合う」という言葉で理解したいと思います。新型コロナウイルスは、ただの医学的な病気の徴ではなく、すべての人の心の病気の徴だと思います。それは個人主義、利己主義、黄金万能主義、自国中心主義などの疾病から始まり、今の私たちはそういった心の疾病を自らあらわにしているのです。こういう状況の中で、教皇様は皆が支え合うことの大事さをそのメッセージを通して強く訴えられました。神様の愛と慈しみによって支えられるしかない弱い人間であることを素直に認めるならば、互いに支え合うことは当たり前でしょう。天地創造のときから私たちは神様に支えられていることを考えたら、「自助、共助、公助」ということはただの言葉遊びに過ぎないことでしょう。平和の使徒と言われる教皇様は、互いにケアし合うことによって、今の人類の危機が乗り越えられ、また、神様の真の平和の道を歩むことができると教えておられるのです。

その教皇様のことを考えながら、私は最近、歴代の教皇様はなぜノーベル平和賞をもらえなかったのかという、ちょっと愚かな疑問に包まれました。しかし、それは当たり前だと思うことになりました。その賞は平和を築くための活動が評価されて与えられるもので、教皇様の活動は世間が評価できることでも、その評価を求めるためのものでもありません。むしろ、教皇様の活動はイエス様の愛による平和を築くためのもので、世の中の政治による平和、知識や技術による平和ではありません。しかも、戦争や武力による平和は退けるべきものでしょう。神様の慈しみとイエス様の愛による平和を築くのは、誰よりも先ず、教会の人々が行うべきことです。自分だけのやり方、知恵、知識などを振るって、自分だけの平和を築くことをやめ、むしろ、皆がへりくだって、イエス様の愛のもとに集まる必要があります。神の母マリア、平和の元后マリアに倣い、皆が、神様の愛に従う人となれば、教会は平和に満ち溢れ、それから、神様の栄光と平和が広がれるでしょう。今年、信者の皆さんと共にそういった平和の道を歩むことができるように、このミサの中で心を込めてお祈りいたします。

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