先週の主日の福音で、イエス様は使徒たちを二人ずつ組みにして福音宣教に遣わされました。イエス様は彼らに悪霊に対する権能を授けられ、何よりもご自分との繋がりの中で、また、一緒に出掛ける仲間を大切にし、二人が一つとなって働くことの大事さも示されました。こうして、使徒たちは悔い改めさせるための宣教を始めて、多くの悪霊を追い出し、病人に油を塗って彼らを癒しました。そして、その全ての活動を果たした使徒たちは、イエス様のところに戻って来て、自分たちが行ったことについて報告しましたが、今日の福音にはそれから後のことが書かれています。

使徒たちはきっと、大きな喜びと達成感に満ち溢れて、自分たちの成果をイエス様に報告したに違いありません。勿論、イエス様も彼らと一緒に喜ばれ、また、何とかして彼らを慰めたかったと思います。そこで、彼らを少しでも休ませようとし、彼らに「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい。」と言われました。イエス様は彼らが宣教活動を始める前から、出入りする多くの人々のため、食事をする暇も取れなかったことをよく知っておられたはずです。こうして、イエス様の一行は舟に乗って出発し、自分たちだけで人里離れた所へ行きましたが、再び大勢の群衆に囲まれるようになりました。その多くの人たちはイエス様の一行が出かけて行った途端、それに気付き、すべての町からそこへ一斉に駆け付け、イエス様の一行より先に着いたのです。イエス様はその群衆の姿を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれ、色々と教え始められました。残念なことに、それで弟子たちのせっかくの休みは終わったようです。

今日の福音を黙想しながら、ある日本人の神父様との対話が頭をよぎりました。韓国ではほとんどの教会の事務所が月曜日に休むので、司祭の休みの日も月曜日だと思われていますが、それは暗黙的なことです。とにかく、ある月曜日、わたしはその神父様と共に葬儀のミサを捧げることになりました。そこで、わたしは礼儀として、「お休みの日なのに、来てくださってありがとうございます。」と挨拶しました。ところがその神父様は、「いいえ。あなたは月曜日に休むかもしれませんが、わたしには休みの日はありません。」と答えられました。それを聞いて、わたしは「はぁ」という気持ちになりました。でも、恐らく、その神父様もわざわざわたしを辱めようとされたはずがありませんし、それからわたしは「司祭の休み」について改めて考えるようになりました。

今日の福音で、イエス様は使徒たちを休ませようとなさいましたが、それができなくなりました。しかし、わたしは今日の福音の出来事もイエス様からの大事な教えだと思います。それは使徒たち、或いは、もっと広い意味で「イエス様に従う人々」においては、休みはあり得ないということです。今日の福音を通して、イエス様はご自身が、今日の第1朗読が語っているように、世の中の偽りの牧者たちによって散らされ、また、追い払われた羊の群れを、再び集めるために来られたことを、はっきりと示されました。イエス様はそれをまず使徒たちに示され、更にイエス様に従うすべての人にも示してくださったのです。すなわち、イエス様に従う信仰のある人たちも、すべての人の救いのために働き、その働きによって、もっと多くの人たちが神様の救いに与れるようになるわけです。そして、その働きは止まってはいけないことで、今日の福音はそれを示しているのです。

その働きとは、勿論、愛に生きることです。今日の福音をもう一度振り返ってみたいと思います。大勢の群衆はイエス様の一行が出かけたことに気づいて、すぐ、自分の町から駆け付け、イエス様より先に行き、その場所に集まりました。それほど、イエス様の一行と共にいたかったのでしょう。それはなぜでしょうか。わたしはその答えが「人里離れたところ」という言葉にあると思います。それはちょっと霊的な話になりますが、「人里離れたところ」とは、人のいないところを意味します。つまり、世の中から離れた所で、そこには世の中の様々な基準や規則、考え方ややり方ではなく、ただ、イエス様の慈しみと愛だけがある所なのです。そのイエス様の所へ辿り来た人たちは、世の中から差別され、また、蔑まれたり、虐げられたりしたでしょう。彼らはイエス様の慈しみと愛に渇いていたに違いありません。イエス様は彼らを憐れみ、色々な教えを通してその渇きを癒してくださいました。そして、ご自分の十字架を通して、その慈しみと愛を最も確かな形で証しされたのです。それについて今日の第2朗読で使徒パウロは「キリストは私たちの平和であります。」と述べながら、イエス様によってすべての敵意が滅ぼされ、真の平和と和解が完成されたと讃えています。わたしたち信仰のある人たちもイエス様のように生きるべきです。教会では身分、学識、職業、人種、国籍、言語、知識、経験などの基準ではなく、ただ愛だけが一番大事な価値なのです。その愛によって、もっと多くの人々が教会でイエス様と出会い、その癒しの恵みを頂けるでしょう。

ところで、群衆はどうして、弟子たちが行くはずの「人里離れた所」を知っていたのでしょうか。イエス様の愛と慈しみ、そして、それを実践している人たちは隠されることがあり得ません。むしろ、これこそ神様の望んでおられることだと思います。わたしたちがイエス様から学んだ愛は、世を照らす光であり、その愛の光はどんな暗闇の中でも輝くはずです。わたしたちにその大事な使命を与えてくださった神様に感謝を捧げつつ、このミサの中で必要な恵みと力とを祈り求めましょう。

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