新しい年を迎えて、今年も神様が信者の皆さんの家庭が愛と恵みで満たされ、また、皆さんの毎日の働きが豊かな実を結べるよう、お祈りいたします。この新型コロナウイルス感染症も始まってからもうすぐ満二年になりそうです。この感染症は社会の様々な分野、また、仕事や個人の色々な活動にも影響をもたらしました。緊急事態・自粛などの言葉が耳に慣れてしまっている状況の中で、教会の最も大事なミサも、まるで不要不急なもののように扱われているような思いがします。主日のミサを信者の皆さんと共に捧げることができず、ミサの本質であるイエス様の現存性、すなわち、「今ここにおられるイエス様」との出会いも、オンラインでできると認識されているかのような気がします。このミサを共に捧げ信じる人々の間において、イエス様はパンとぶどう酒の形で一緒におられ、まさしく「インマヌエル」、つまり、「神様が我々と共におられる」ということが証しされます。それを強く信じ、これからも信者の皆さんとともに捧げるミサを、もっと大事にしたいと思います。
さて、今日は主の公現の祭日です。今日の福音で、三人の占星術の学者たちはイエス様の馬小屋にたずねて来ました。彼らは異邦人でしたが、自分の国で不思議な星を見つけ、その星について調べたはずです。そして、その星がイスラエルの新しい王様の誕生のしるしであると思い、遠い道のりを辿ってきたわけです。しかし、彼らはまっすぐにその馬小屋にまで来たのではありません。その三人の足が先に向かったのは、ヘロデの宮殿だったのです。考えてみたら、それは当然なことで、彼らは新しい王なら、宮殿で生まれるはずだと思っていたからでしょう。しかし、彼らはそこで新しい王に出会えず、むしろ、ヘロデにその王の誕生という大事な情報を知らせたようになってしまいました。ヘロデはその新しい王を殺そうとし、自分は後で礼拝に行くと言いながら、その学者たちをベツレヘムへ送って、もっと詳しい情報を彼らから得ようとしたのです。とにかく、宮殿から出かけた彼らは、そこまで自分たちを導いてくれた星に再び導かれ、ようやくベツレヘムでイエス様を見つけて、それぞれ用意した贈り物、すなわち、黄金と乳香、また、没薬を捧げ、イエス様に礼拝しました。そして、神様の天使の指示どおりに別の道を通って、自分たちの国に帰りました。
今日の福音の出来事を通して、わたしたちは神様の救いの計画が、ただユダヤ人のためのものではないことが分かります。今日の第一朗読で、預言者イザヤは地を覆っている暗闇の中で輝き出でる主の栄光を語りました。ところが、それはその昔、エジプトでのことを思い起こさせてくれるようです。その時、神様は十のしるしをエジプトで行われましたが、その中の一つがエジプトの全地を暗闇で覆うことでした。しかし、イスラエルの民のところには光を輝かせられました。それはイスラエルのためのしるしだったでしょう。イザヤはそれと同じく、神様が再びイスラエルの上にご自分の輝かしい栄光を現わされると語っています。でも、今度はただイスラエルだけでなく、すべての国々の人々がその光に導かれると、イザヤは言いました。その神様ご自身の輝かしい栄光とは、勿論、イエス様のことでしょう。神様はイエス様を通して、秘められた救いの計画をはっきりと示され、霊によってすべての時代の人々がその救いに与れるようにしてくださいました。今日の第二朗読はそれについて語っていますが、わたしたちもイエス様の福音によって、約束されたものを一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束に与る者となったわけです。そういう意味で、主の公現はただ三人の占星術の学者たちのためだけではなく、今の時代の私たちのためのしるしともなるのです。イエス様は今もこの祭壇の上で、ご自分の愛の姿を私たちに見せてくださり、わたしたちが毎日、主の公現の恵みに与れるようにしてくださいます。これを考えたら、わたしたちがこのミサを大事にしなければならないのは当たり前でしょう。
さて、今日の福音を黙想しながら、占星術の学者たちが歩んだ三つの道について考えてみました。先ずは、自分たちの国からヘロデの宮殿までの道です。その道は夜空で不思議と輝いていた星に導かれる道でしたが、彼らは自分たちの知識や常識などにも頼ったのでしょう。きっと彼らはその知識や常識に基づいて、至るところで身分や地位の高い人や権力者をたずねたに違いありません。ヘロデの宮殿もその一つでしたが、そこで新しい王と出会うことはできませんでした。そこで、次の道が始まります。それはヘロデの宮殿からベツレヘムのイエス様の馬小屋までの道です。学者たちはヘロデから聖書に基づいた情報を聞き、それを信じて再び空の星との旅を始めました。でも、まだまだ悩みや不安もあったでしょう。それは新しい王についての自分たちの知識や知恵が破れたからです。しかし、その破れを経験して初めて、彼らは神様の導きに素直に従うことを学んだのでしょう。彼らの最後の道は帰り道で、喜びと恵みでいっぱいとなった道でした。神様の慈しみと愛に満ちた救いの計画を知り、その計画を全うすることになっている赤ちゃんのイエス様の平和が、彼らの胸を満たしてくれたでしょう。きっと彼らは帰り道で、また、自分の国で、それを宣べ伝えたはずです。わたしたち信仰のある人たちの道も、この三人の道と同様です。私たちも自分や世の中のことに拘ったら、イエス様に会うことはできません。むしろ自分を低くして、神様の導きに自分を任せて歩む姿勢が必要です。その道は慈しみ深い神様の独り子であるイエス様に向かう道で、また、そのイエス様の愛をもって世に遣わされる道でもあります。これからもわたしたちが、この道を忠実に歩むことができるよう、お祈り致します。
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