今日は主の洗礼の祝日で、イエス様がヨルダン川でヨハネの洗礼を受けられたことを記念する日です。イエス様は罪のない方でしたが、罪と死の陰にある人間の救いのために、自ら人となられました。永遠で聖なる方が時間と空間の限界のあるこの世、しかも、あらゆる汚れで満ちているこの世に来られたのは、なんと意味深い神秘でしょう。イエス様の誕生によって人間は勿論、その人間の罪によって喘いでいたすべてのものは命と救いの光を得、その光に向かって歩めるようになりました。神様はイエス様の誕生を通して、ご自身が造られたすべての不完全なものを祝福し、ご自分の聖性と永遠性、また、完全性に招いてくださったのです。これだけでも感謝すべき神秘でしょう。しかし、神様の救いの計らいはこれで終わりませんでした。今日、イエス様は自らヨルダン川に入り、ヨハネから洗礼を受けて、その罪と死の陰にある人の新しい誕生の神秘を示されました。
今日の福音は、「民衆が皆洗礼を受け」、イエス様も「洗礼を受けられた」と語っています。これはイエス様の洗礼が、民衆の洗礼の後で行われたことを示し、イエス様がヨハネの洗礼を完成してくださったことを表しているのです。実に、ヨハネの洗礼は救い主であるイエス様の到来を準備させるためのもので、昔の契約の民に授けられた洗礼でした。イエス様はヨハネからその洗礼を受けられましたが、それは新しい契約の民のための「新しい洗礼」だったのです。今日の福音でイエス様は自らヨルダン川に入られ、その新しい洗礼の水を祝別されました。イエス様のその行動は、これからイエス様ご自身が受けることになっている十字架の洗礼、つまり、罪の赦しのための洗礼を前もって表すことでしょう。そこで、神様はその新しい洗礼の完全さを特別なしるしで証明されました。それは、洗礼を受けてから祈っておられたイエス様に降ってきた鳩の姿の聖霊、そして、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」という御父の声でした。それは、三位一体の神様を表すしるしとして、神様ご自身がその完全性を直接に証しされたのです。ヨルダン川の水がイエス様の御体によって新しい洗礼の水のしるしとなったように、今も復活徹夜祭のミサの中で、司祭は復活されたイエス様を表す復活の蝋燭を、事前に用意した水に三度入れます。そして、その新しい洗礼の水を受けた人は罪に対して死に、復活されたイエス様の命に生きる人となるのです。
今日の福音で、イエス様はその新しい洗礼によって新たに生まれた人たちの生き方をも示してくださいました。それは御父と聖霊との交わりの中で「祈っておられる」姿でした。その交わりとは、御父と聖霊と一つとなること、一致することでしょう。きっとイエス様はその祈りの中で、御父の御心に従うメシアの使命を受け止められたに違いありません。それこそが、御父の御心に適う者の姿であるからです。その謙遜な僕の姿に対して、御父は、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」という声で、また聖霊は、鳩の姿でそれに答えてくださったわけです。そのイエス様の姿こそが新しい洗礼を受けた人たちの姿であり、生き方でもあります。イエス様はその謙遜と従順の姿勢をもって十字架上の洗礼を受けられ、「小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」真の羊飼いとなられたのです。それはただ愛によって成し遂げられた愛の御業でしょう。
その新しい洗礼の水は教会に預けられ、私たちは皆その水で洗礼を受けて、神様の子となりました。こうして、神様はイエス様の誕生によってわたしたち罪びとを救いの光で照らし、イエス様の洗礼によって、その罪を洗ってくださいました。それを考えたら、まさに教会の洗礼は新たな誕生と言えるでしょう。教会がクリスマスの最後の日として、主の洗礼を記念する意味がここにあるのではないかと思います。ですが、ただ記念するだけで終わったら、イエス様の誕生も、また、洗礼も意味のないものとなるでしょう。わたしたちもイエス様の誕生によって救いの光で照らされ、また、イエス様の洗礼による新しい水で清くなったと言うならば、イエス様のような愛と慈しみ深い人として生きなければなりません。それこそが、新しい洗礼によって神様の新しい民、イエス様の羊の群れとなったわたしたちのふさわしい姿なのです。
さて、イエス様の洗礼についてナジアンズの聖グレゴリオという司教は大体次のように教えました。「アダムの罪によって、楽園の門が閉ざされましたが、天から降ったイエス様の洗礼によって、天の門が開かれました。同じ天から聖霊はその神性を証しし、天の声もそれを証言しました。その昔、他の鳩は洪水が終わったことを伝えてくれました。」と。確かに、その昔、大きな洪水の中で、ノアは神様に従って救われました。同じくイエス様はヨルダン川での洗礼によって神様に従い、罪と悪の洪水を終えられました。昔、洪水の終わりを一羽の鳩が告げ知らせたように、イエス様による罪と悪の洪水の終わりを、鳩の姿の聖霊は告げ知らせてくださいました。また、ノアが空の虹を仰ぎながら、神様との新たな契約を結んだように、イエス様は十字架上の死によって新しい永遠の契約を結び、その十字架を見つめる人々をその契約に与らせてくださいました。ノアは自分が用意した箱舟の中で、自分が用意した食べ物を食べながらその洪水の苦しみを乗り越えました。しかし、わたしたちは今、教会という箱舟の中で、イエス様ご自身の御体である命のパンをいただきながら、この世の様々な悪や罪と戦っているのです。ですから、わたしたちの信仰は心の弱い者たちの宗教やマイノリティ宗教のように見なされてはいけないし、私たち自身がそう思ってもいけないのです。むしろ、神様に導かれて至る所で信仰を証ししつつ、あらゆる機会でそれを宣べ伝えるべきです。これからも信者の皆さんの洗礼の恵みがもっと豊かになるよう、お祈りいたします。
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