今日の福音は、世の終わりの日に来るべきキリスト・イエス様の再臨についての御言葉です。イエス様の再臨に関しては、ミサの中で告白する使徒信条にも書いてありますが、その日、イエス様は「生者と死者を裁くために来られる」こととなっています。その裁きによって、信仰を堅く守り、また、イエス様の生き方にそって忠実に生きてきた人たちは、神様の国に入り、永遠の命を得るでしょう。しかし、イエス様の道から離れて、世の中の悪に自分を任せ、自分の心のままに生きてきた人たちは、その報いとして、永遠の死を受けることになるのです。もちろん、イエス様はご自分に従うすべての信仰のある人たちに、そのような厳しい罰ではなく、神様の御国で真の幸せを得ることを望んでおられます。そこでイエス様は今日の御言葉を通して、信仰のある人たちがイエス様の再臨をどういうふうに準備すべきかについて教えられたわけです。イエス様のその教えは三つに分けられますが、わたしはそれらの内容を、「神様の国に真の富を積むこと」、「目を覚まして、主人が帰るのを待っている僕たちの姿」、そして、「僕同士の互いへの思いやり」などとまとめてみたいと思います。
先ずは「神様の国に真の富を積むこと」についてですが、その富とは言うまでもなく「愛の実践」でしょう。それは神様からいただいた様々な恵みと富とを、自分だけのためではなく、多くの人たちと分かち合い、また、色々な理由で困っている人たちに施すことです。自分だけのために恵みと富を積むなら、その人の心は自分自身とこの世の様々なものにあるはずです。しかし、それらを多くの人たちと分かち合いつつ、困っている人たちのために施す人は、その行いによって神様の国に富を積み、彼の心は神様の国にあるわけです。その人は、自分が積んでおいた愛こそが、神様の御心に適う富であることを知り、いつか自分がその国に迎え入れられることを信じているので、その人の愛の行いは止まることはありません。
次は「目を覚まして、主人が帰るのを待っている僕たちの姿」のことです。普通、イスラエルの婚宴は期限が決まっていません。それはその婚宴の雰囲気次第で変わるので、今日の福音の例え話に登場する主人の帰りがいつになるか、僕たちには分かるはずもありません。そこでイエス様は、「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」と、二度もおっしゃったわけです。その僕たちの幸せとは、僕としては想像もできないほどの素晴らしい食卓で、しかも、主人が給仕までしてくれるもてなしなのです。きっと、そのもてなしによって僕たちの疲れは解れ、主人との強い絆のうちに永遠にその家で過ごせることになるでしょう。それはただ、僕たちが「腰に帯を締め、ともし火をともし」、「主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っていた」ということに対する報いなのです。これは、わたしたちの信仰生活についての御言葉なのでしょう。信仰生活は、目に見える世の中のあらゆる幸せを得るためではなく、目に見えない神様の国の幸せを得るためのものです。それについて、今日の第二朗読で使徒パウロは、アブラハムと彼の妻サラのことを語りながら、わたしたちの信仰生活が世の中のことだけにとどまらず、永遠の御国に向かうようにと勧めました。そのために、わたしたちは主日ごとにこの聖堂に集まり、イエス様の最後の晩さんと十字架上の死を記念しつつ、神様の御言葉とイエス様の福音を聞き、イエス様の御体と御血を頂いているわけです。その御言葉とご聖体の食卓から、わたしたちは世の中の、或いは、自分の中の様々な悪と誘惑と戦うための霊的な帯を得、また、心のともし火を守ることができるのです。その霊的な帯とともし火は、わたしたちが世に仕える僕ではなく、神様の僕であることを表し、それを守ることによって、いつか神様の国の永遠の宴に座る栄光にも与れるはずです。
さて、最後の教えですが、イエス様はペトロから、「主よ、この例えはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか。」という質問を受けられ、そこで、「主人が召し使いたちの上に立てた僕」の例え話を聞かせてくださいました。それは、要するに「自分に任せられた仕事や他の仲間たちを大事にしなければならない。」ということです。教会の中で責任を持って奉仕している人々、特に、その奉仕者たちの上の立場にいる人たちは、常に共に働いている仲間たちの声に耳を傾け、その意見を尊重し、また、彼らに仕えなければなりません。それこそが、神様が教会を通しておまかせになった一番大事な仕事なのです。勿論、他の信者の皆さんも、互いに愛し合い、助け合い、支え合うべきです。それこそが、今日の第一朗読に書かれている「善き民の清い子らのいけにえ」で、「神聖な掟」なのです。わたしたちがそれを守り、また、実践していったら、神様は喜んでくださるに違いありません。
今日イエス様は、わたしたちがどうすれば主の再臨を相応しく準備することができるのかについて教えてくださいました。これからも、わたしたちがその教えに従って、忠実に信仰の道を歩むことができるよう、このミサの中で心を込めてお祈りいたしましょう。