今日、イエス様は弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村に出かけられました。この地域は、ローマ皇帝アウグストゥスがヘロデに譲った地域で、ヘロデの息子フィリポがそこに立てた新都市です。彼はその都を皇帝という意味のカイサリアと名付け、更に、自分の名前も付けて、フィリポ・カイサリアとなりました。彼は、自分の名声を示しつつ、ローマへの忠誠を表したわけです。その世の中の力に心奪われた人が築いた地域に、今日、「メシアであるイエス様」が出かけられたのです。その途中で、イエス様は弟子たちに、ご自分についての世の中の人たちの考えと、弟子たちの考えをお聞きになったのでしょう。

弟子たちは先ず、世の中の評判を伝えました。それは「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人」と言うことだったのです。でも、彼らはそんな質問や答えについて、あまり考えたことがなかったようです。誰も答えなかったその時、ペトロは「あなたは、メシアです。」と答えました。その答えを聞いたイエス様は、メシアの道についてはっきりと教えてくださったのです。それは「指導者たちから反対されて殺され、三日の後に復活する」ということだったでしょう。

しかし、ペトロは自分が告白したメシアのその悲惨な道を認められませんでした。彼はすぐに、イエス様をわきへお連れして、いさめ始めたでしょう。どうでしょうか。イエス様は今、世の中の権力者が築いた都に向かう道を歩いておられます。でも、ペトロはその道からイエス様をわきへ連れていさめました。メシアの道から逸れるようにしたでしょう。彼は、イエス様のメシアとしての歩みの邪魔をしていたのです。そこで、イエス様は彼に、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」と戒められたわけです。

ところが、その時イエス様は、弟子たち全員を見ながら、ペトロにそういわれました。間違えたのはペトロなのに、なぜイエス様はみんなを見つめながら戒められたでしょうか。それは、他の弟子たちもひょっとしたら間違えて考えるかもしれない、ということを悟らせるためだったという気がします。そのイエス様の目線は、今日のわたしたちにも向かっていると思います。わたしたちも一瞬でも油断したら、神様より自分を先にしがちな弱い信仰を持っていることを忘れずに、生きていくことができれば幸いです。

でも、イエス様は、それでも弟子たちと群衆を憐れんでくださいました。彼らを厳しく戒めましたが、すぐに、ご自分の所に呼び寄せてくださったでしょう。ペトロはイエス様をメシアの道から逸れさせようとしましたが、むしろ、イエス様は彼らをご自分の道に再び呼び寄せてくださったのです。そして、人が自分の命を救うためには、イエス様のために、また、福音のために命を失わなければならないと、教えてくださいました。ここで言う命とはあらゆる形の自己愛着、その命を失うこととは、あらゆる形の殉教でしょう。

イエス様は今日、弟子たちと一緒に現世的な栄光に満ちた都に出かけられました。そして、その途中で、ご自分について尋ねられました。それと同様に、今日もイエス様はわたしたちを連れて、天上の都に導いてくださいます。その道でイエス様は常にわたしたちに、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と、尋ねておられるでしょう。その質問に、わたしたちは自分の考えで答えたり、それを優先としたりしたら困るでしょう。むしろ、聖霊を通してイエス様の道を調べ、それを素直に受け止めることが大事です。今日のイエス様のみ言葉と御体が、わたしたちにその道を示してくれるよう、お祈り致します。