姜真求神父 三位一体の主日の説教

 

  今、世界は新型コロナの為にひどく患っていて、世界の多くの人々がこの手強い病気と戦っています。皆が今まで経験したこともなく、この病気の正体も知らず、慌てふためいています。心配なことは、これが体の病気だけではなく、社会の色々な分野にも浸透して、所謂、社会崩壊にまで至るかもしれないということです。そういう状態に及ばないように、全ての人々が心と力を合わせてこの危機を乗り越えるべきだと思います。勿論、その戦いは一人一人が自分の弱さを認めつつ、神様の助けを祈り求め、その恵みと力により頼むなら、この病気に打ち勝つことができるでしょう。今日もその恵みを祈りながら、説教を始めたいと思います。

 さて、全世界がこのように一つの敵と戦っていますが、最近、アメリカで起こった悲しい事件は衝撃そのものでした。それはある黒人男性の死亡事件で、その事件はたちまち全世界に伝わり、アメリカ人は勿論、世界の多くの人々の憤りを買っています。「息ができない!」と叫びながら、大事な命を奪われたその人に神様からの慰めと永遠の命が与えられるよう、お祈りいたします。皆さんも同じことを考えておられると思いますが、これは絶対あってはいけないことでしょう。人間には人の命を奪う権利が与えられていません。どんな状況でも人の命は尊重されるべきもので、その命は他のものと替えることができないからです。いや、もっと根本的なことを考えたら、命は神様が与えて下さったものですから、ある人が他の人の命を奪った途端、彼は神様を冒瀆することになるのです。とにかく、この事件を巡って多くの人々が憤怒していますが、世界の政治家達はその憤怒の本質から目を逸らし、むしろ、これをきっかけとして相手の国を攻撃するため、この事件を利用しようとしているのではないかという気がします。また、この病気との苦しい戦いの中で、自分達の政治的な責任が疑われている状況から逃げようとしているようにも見えます。或は、今度の黒人の死亡事件は、長く続いている病気のストレスのせいだと主張する人もいます。残念ですが、私達人間の理性や知性がこれだけなのか、という悲しい気持ちが湧き上がります。

 事実、私達人間は今まで物質的な豊かさに拘って、もっと裕福な生活に心を奪われて様々な煩いや争い、戦いに陥ってきました。そういう欲心からの戦いは個人や国、民族や人種の間に広まり、この世はまるで戦場のようになってしまいました。誰彼なしに、皆が自分だけの利益や満足だけを追い求めていて、他人や他国、他民族の苦しみについては、無関心となっていると言っても過言ではありません。むしろ、邪な人達は様々な差別と分裂と葛藤を呼び起こし、また、皆が憎しみや恨みを抱いたまま過ごすようにと強いています。そればかりか、今度は、そのような利己主義や自国中心主義、物質主義に染みている愚かな考えや歴史を隠そうとし、或は、もっと危ない状況を作ろうとしているように見えます。よくよく顧みたら、誰もが敗者とは呼ばれたくなく、皆が勝利者となろうとしています。誰も自分の勝利の代価である他人や他国、他民族の涙については謝罪もなく責任も負おうとはしません。しかし、もっと冷静に考えたら、実は、少なくとも命においては、誰も勝利者になることはできないでしょう。

 この悲しくて暗い現実の中で、今日、私達は三位一体の主日を過ごしています。色々な差別、分裂、葛藤の現実の中で、教会は差別も分裂も葛藤もない神様の神秘を記念しているのです。三位一体の神様は父と子と聖霊の三つの各位が、それぞれ別の神様ではなく唯一の神様としておられます。この神様は天地創造の時から同じ意向を持って、一緒に働いておられます。私達はその神様の神秘をイエス様の「父と私は一つである。」という御言葉を通して分かっています。併せて、イエス様は聖霊がご自分から受けたことを弟子達に教えて下さるともおっしゃいました。そのイエス様は昇天の前、弟子達を遣わされた時、全ての人にご自分の掟を教え、また、「父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けなさい。」と命じられました。それで、私達は皆、同じ神様の御名による洗礼を頂き、イエス様の掟、すなわち、「互いに愛し合いなさい。」という命令に沿って生きているのです。私たちはその掟こそ永遠の命に至る道であることを知っています。その命はイエス様の受難と復活によって与えられるもので、実際、イエス様は全ての人が救われて、その命に与ることを望まれてこの世においでになったのです。

 今日の福音で、イエス様はそれを明らかに教えて下さいました。つまり、神様はご自分が愛される人の滅びではなく、むしろ、神ご自身の永遠の命を得ることを望んでおられるということです。また、イエス様ご自身も世を裁く為ではなく、救う為に来たとはっきりおっしゃいました。その神様の意向は聖霊によって教会に任せられて、教会はミサを中心とする様々な活動を通して神様の救いの御業に与っているのです。教会の生き方はただイエス様の生き方で、教会は聖霊を通して励まされ、いつの時代、また、どんな状況にもかかわらず、イエス様の生き方に沿って生きるべきです。それは今日の第1朗読の御言葉にもよく現わされています。第1朗読によると、教会とは「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちておられる」神様の民に違いありません。また、使徒パウロも、今日の第2朗読を通して、教会が完全な方である神様に似るものとなることを教えています。それは皆が互いに「励まし合うこと、思いを一つにすること、平和を保つこと」です。パウロはそのように生きる教会に「愛と平和の神様が共におられる」と言い、更に、私達がよく知っている言葉で神様の祝福を願っています。それは「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」という言葉です。私達はこの世の中の邪で偽りの神、即ち、いつか消え失せる権力や富、名誉や様々な欲心に従う人ではなく、愛と慈しみに満ちておられる神様に従わねばなりません。その為には、世の中の様々な神と戦わねばならないでしょう。その戦いに父と子と聖霊の愛の神様が共にいて下さることを確信して、三位一体の神様の民としての道を共に歩みましょう。

 さて、三位一体の主日になると、なぜか分かりませんが、私の頭にはいつも同じ聖書の御言葉が浮かびます。それは「イエス・キリストは目に見えない神様の見える姿」という言葉です。イエス様は十字架上で、世の中の罪は勿論、苦しみや悲しみ、恨みや憎しみなどすべてご自身の身に受け止められました。その時イエス様と共に、御父も、また、命と愛の聖霊も唯一の神様として、その全てを共にして下さいました。そのイエス様こそ、目に見えない神様の姿に違いありません。この世の中のいかに偉い人が自分の手に聖書を持っていても、また、大きな権力や富を持っていても、愛と平和の心を失ったら、彼の手に握られた聖書には神様はおられません。それは教会も同様でしょう。今、全人類が直面しているこの危機はいつか乗り越えることが出来るかもしれませんが、愛と平和の道に立ち戻らなければ、霊的な病は残ってしまうでしょう。そうならないように、私たち信仰のある人達が先ず、三位一体の神様にもっと近づくべきです。三位一体の謙遜な神様、私たち罪びとを憐れんでください。アーメン。

 

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