人生を生きていると、自分のやりたいことだけをやりながら過ごせるというのはあり得ないし、自分の思い通りにならない場合の方がもっと多いと思います。むしろ、やりたくないことも頑張ってやらなければならない、また、思い通りにならなくても、それを我慢しなければならない場合がほとんどではないか、という気がします。でも、人間はそういう風に生きて行くことによって、少しずつ成長していくものではないかと思います。そう考えてみると、「生きることは旅すること。終わりのないこの道。」という、ある有名な歌手の歌詞が頭をよぎります。そして、信仰の道も同様で、「信じることは旅すること。終わりのないこの道。」と歌いながら信じて行けば、わたしたちの信仰も少しずつ成長できると思います。今日の福音の御言葉は、その信仰の道の単純さと、その道を歩むための正しい姿勢について語っているようです。

今日の福音の中で、弟子たちはイエス様に自分たちの信仰を増してくださいと願いました。それについて、イエス様は先ず、この世の中で最も小さな種であるからし種ほどの信仰があれば、桑の木を海に移し、しかも、その海に根を張らせることさえできると教えられました。それは、ご自分の弟子たちにその小さな信仰さえ持っていないことを戒めるためではなく、信仰が持つ計り知れない力について教えるためでした。たった一言で桑の木を海に移らせ、しかも、.その木がしょっぱい水に根を張るなどと、世の中の常識ではあり得ないことでしょう。しかし、イエス様は神様のお望みに適うことだったら、それが必ず叶えられると信じることによって、それができると教えられました。言い換えれば、信じるというのは、何でもかんでも自分の思い通りになるよう希望しながら信じることではなく、神様のお望みどおりになることを願いながら信じることです。そして、その神様のお望みに、自分が役立つものとなることを希望しながら信じること、それこそが信仰のある人たちの正しい姿勢なのです。その姿勢を教えるために、イエス様はある主人とその僕のあるべき姿を例え話として聞かせてくださったわけです。

この例え話の中で、今日注目したいのはその僕のことです。彼の仕事は「畑を耕すか羊を飼うかする」こと、つまり、彼には家の外での仕事が任せられていたわけです。家の中で働いている僕にとって、外の仕事が分かるわけがないのと同様に、外の仕事をやっている彼にとって、家の中の仕事が良く分かるわけがありません。でも、主人は自分が外の仕事を任せた僕に、自分の食事を準備し、更に、自分が食事をする間、傍で給仕するようにと指示しました。その指示に対して、例えば、「いいえ、わたしの仕事は畑を耕すことです。」とか、「わたしは羊の事しか分かりません。」とか、或いは、「食事に関しては分かりません。」などと答えるのは、僕にとってあり得ないことでしょう。もしかしてその僕にとって、主人の食事の準備や給仕することが、彼の人生において初めてのことかもしれません。でも、彼は手を尽くして主人の食事を用意し、また、主人が食事をしている間その傍に立ち、心を込めて給仕していたに違いありません。その僕の姿こそが、わたしたちがあるべき姿であるのは言うまでもないでしょう。

今日の第二朗読で使徒パウロは、「わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。」という言葉で、テモテを励ましました。テモテはパウロが手を置いて神様に聖別され、「イエス様によって与えられた信仰と愛を持って」エフェソ教会の司教となった人でした。イエス様を信じるのは恥ずかしいことのように認識され、信仰のある人たちが迫害されていたその時代、教会の指導者となるのは、何と恐ろしく怖いことだったでしょう。それは今日の第一朗読に記されているように、その昔、神様の預言者たちが様々な迫害や反対、暴力と不法の状況に巻き込まれたことと同様だったに違いありません。しかし、彼らは「神様に従う人は信仰によって生きる。」という神様の御言葉に励まされ、その全ての逆境を乗り越えました。それと同様に、パウロはテモテのために祈りつつ、彼が神様からいただいた聖霊に導かれ、色々な反対や迫害に打ち勝つことができるように力づけてくれたのです。

信仰の道とは、信仰のある人たちだけが歩める愛の旅路です。イエス様はその道を歩む人たちのために、御言葉を通して自らが手本と道案内人となり、更に、ご聖体を通して、その旅路の糧となってくださいます。神様はわたしたちがその道を歩むことによって、わたしたちは勿論、もっと多くの人たちが、イエス様を通して全うされた救いに与ることを望んでおられます。そのために神様は様々な形の仕事をわたしたちに任せ、それに必要な知恵と力と恵みを与えてくださいます。自分のやりたいことを、自分なりの思いややり方で行うのではなく、神様のお望みを真剣に探りながら、それに純粋に従うべきです。神様を信じることは旅すること、その旅路を最後まで歩まねばなりません。その道を、一粒のからし種ほどの信仰を持ってひたすら歩んで行ったら、神様は多くの実を自ら結んでくださるに違いありません。信者の皆さんがイエス様の御言葉とご聖体に励まされ、その道を歩み抜くことができるよう、お祈りいたします。

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