信仰の道とは、神様の国に向かう旅だと言えます。世の中の旅には適切な費用が必要ですが、神様の国に向かう旅においては、事前に準備する費用はありません。不思議なことに、それは旅をしながら、つまり、信仰の道を歩みながら得られるものです。では、神様の国に向かう旅の費用とは何でしょうか。

多くの信者たちはその費用を、教会の中、或いは、外での活動や奉仕だと思うかもしれません。そして、その活動や奉仕には、ある程度の知識とか知恵が必要なのだと思い、それを学ぶための様々な研修会や勉強会に参加したりします。それは、素晴らしい考えだと思います。しかし、それらは、必要と言うより役に立つものだ、と言った方が正しいのではないかとわたしは思います。実に、そういった知識や知恵は、神様の国に向かう旅の費用とはなりません。大事なのは、その知識や知恵を使って、実際に必要な資金を準備することです。

今日の福音の中で、イエス様はその旅行のための実際の資金について、「畑に隠されている宝の例え話」と、「善い真珠の例え話」を聞かせてくださいました。よく考えてみたら、その宝と真珠を手に入れるために、それぞれ自分の持ち物すべてをすっかり売り払った二人は、効率的で合理的な人ではないように見えます。というのは、例えば、自分の持ち物を全部売って、その宝や真珠を手に入れたとしても、それらのものより、もっと貴重で素晴らしい宝や真珠を見つけたら、今度は何を売り払ってその宝や真珠を手に入れられるでしょうか。もし、自分が持っているその宝や真珠より、はるかに高いものだったら、決してそれを得ることはできないでしょう。そこで、この例え話に用いられた宝は、それ以上の価値のあるものはないぐらい、絶対的な価値を持っている宝、また、真珠であるのが分かります。果たして、この宝と真珠はどういうものでしょうか。それは愛であり、実に、神様の国への旅のために必要な費用は、この愛しかありません。そして、教会内外の様々な活動や奉仕、また、それをしっかりと行うための知識や知恵は、ただ、その愛を募るためのものに過ぎないのです。

これから話すことについて、少し考えていただきたいと思います。実は、この宝の例え話が指しているのは神様のことです。この世の中で一番貴重な宝、この上なく価値のある宝を得るために、神様はご自分の大事な独り子の命を売り払われました。一体、神様がご自分の独り子の命さえ惜しまず売り払って、得ようとされた宝や真珠とは何でしょうか。それは、私たち罪びとのことでしょう。神様ご自身が造り上げ、ご自分の命を吹き込んでくださった、罪深く、みすぼらしいわたしたち。でも、神様にとってこの私たちは、この上なく貴重な存在なのです。

そんな私たちのための身代金となられたイエス様は、いつも罪びとたちの友となり、弱い立場にある人や、苦しんでいる人たちの味方となってくださいました。泣いている人たちの涙をぬぐってくださり、病気の中で喘いでいる人たちを癒してくださいました。律法や信仰についてよく知らないという理由で虐げられ、蔑まれ、また、無視されている人びとを慰め、力づけてくださいました。そんなイエス様でしたが、逆に、慈しみ深い神様について、また、愛に基づいた律法についてよく知っていたはずの人々、その知識や知恵に満ちていたはずの人々、そのような神様の民の指導者たちからイエス様は迫害され、また、殺されたのです。

神様は宝でもなく、真珠でもない、罪びとのために、ご自分の真の宝であるイエス様を、真珠より大切なその独り子を、その代償として支払われました。それは、私たちを救うための愛の計画を完成するためだったでしょう。その愛の計画のお陰で救われ、また、贖われた私たちが、宝でもないもの、真珠でもないものに拘ることがあってはいけないのは言うまでもないことでしょう。しかも、それらの知識や知恵、奉仕や活動の経歴に基づいて、他の人たちの信仰や熱意、奉仕や活動の召命を評価するのは、本当に警戒しなければならないことだと思います。

今日の第一朗読で、ソロモンは何よりも神様の知恵を求めました。その知恵とは、世の中の知識や情報ではありません。それは、神様の愛の霊のことです。また、今日の第二朗読が語っているように、神様は同じ霊を通して、定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになります。その定められた者、召し出した者、義とされた者とは誰でしょうか。それはまさに、私たちでしょう。私たちは皆、神様の子供として定められた人、罪と悪から召し出された人、同じ信仰によって義とされた人、そして、神様の国に向かう旅に招かれた人、その旅の仲間たちです。その旅のために、私たちが賄うべき費用は、ただ、愛だけです。互いに愛し合いましょう。その愛より大事なものはありません。これからも、神様が私たちの共同体を導き、守ってくださるよう、お祈り致します。