今日は「主の公現」の祭日です。今日、神様の独り子であるイエス様こそが、すべての人の救い主であることが明らかにされました。そのしるしとして神様は、イエス様の星を天に昇らせ、異邦人の博士たちを導いてくださったのです。その星の光は神様の救いの光で、すべてが新しくなるのを表す光でもあります。そして、その光に導かれた博士たちは、神様の救いがイスラエルだけでなく、すべての人のためであることを示しています。それを考えながら、このミサの中で、慈しみと愛に満ちておられる神様に感謝を込めて、今日の神秘をお祝いいたしましょう。
今日、星の光に導かれて旅に出た博士たちは、先ず、ヘロデの宮殿に向かいました。王が生まれる場所は、当然、宮殿だと考えたからでしょう。でも、そこには将来新しい王様となる赤ちゃんはいませんでした。きっと博士たちは戸惑ったはずですが、もっと慌てふためいたのは、ヘロデを始め、エルサレムの人たちだったに違いありません。これは、何と不思議なしるしでしょうか。イスラエルの新しい王の誕生の知らせが、イスラエル人ではなく、異邦人の口から聞こえてきたとは。
そこで、初めてヘロデは多くの学者たちに尋ねました。一体、その子がどこで生まれることになっているのかと。その時までヘロデは、新しい王の誕生などということに関心を持っていなかったし、それに自分の立場は永遠に続くと思っていたかもしれません。何と愚かな人でしょう。彼には世の中の富と権力があり、周りには宗教的にも豊かな知識や情報を持っている多くの専門家たちがいたでしょう。しかし、彼と彼に従うエルサレムの人たちの目には、世の中のものだけが見えて、空に輝いている永遠の神様の救いのしるしは見えなかったのです。彼らは、その星の光など気を遣う必要もないと思ったでしょう。その愚かな人たちから、わたしたちも自分のことに拘る余り、もっと大事なことを忘れることの危険性を悟らなければならないと思います。
ここで、自分の国から旅に出た博士たちのことを考えてみましょう。彼らの道も一見、失敗のように見えます。なぜなら、彼らも自分たちの常識や経験に従って、先にヘロデの所を訪ねたからです。しかし、神様は道案内する空の星を、彼らのために留めてくださいました。それは、自分なりの道でなく、神様ご自身が示す道に導かれるためだったでしょう。その神様のみ心、思いやりは何と温かいことでしょうか。でもそれは彼ら三人だけでなく、すべての人のための思いやり。それは、自分を捨て神様のことを考える人だけが味わえる、神様のみ心の温かさでしょう。
その星に再び導かれて、彼らはやっとイエス様に出会うことができたわけです。でも、そこで彼らが見つけたのは、救い主の姿だけではありませんでした。救い主の側には、イエス様の母マリアもいたのです。神様の独り子であるイエス様、そして、神様に素直に従うマリアという人。その二人の神秘的な交わり。博士たちが見つけたのは、まさにその交わりだったのです。その交わりに与った博士たちの幸せは、言葉では表現できないものだったでしょう。そこで、彼らは黄金、乳香、没薬をささげましたが、その代わりに彼らはもっと素敵な賜物をいただいたと思われます。それはきっと、赤ちゃんのイエス様を抱かせていただくことだったでしょう。
今はもう、その3人の博士たちは帰りました。でも、その帰り道はヘロデへの道でなく、「別の道」でした。その別の道とはどんな道でしょうか。それは、自分なりの道、自分だけの道でなく、神様が示してくださる道でしょう。それこそが、わたしたちの歩むべき、また進むべき新しい道ではないでしょうか。そして今、その星も空にはありません。ただ、毎年のクリスマスのツリーの一番上にあるだけです。でも、その星は、自分がその高くて素敵なところにある事を幸せだとは思わないはずです。その星の真の幸せは、自分がわたしたちの心にある時でしょう。わたしたちの心に神様の救いの星があり、その星を通して示される神様の道があり、その道を通ってイエス様との交わりに与ることができますように。アーメン