今日、イエス様は激しい風と湖の大波を静められました。それは、イエス様と弟子たちが船に乗って、ガリラヤ湖の向こう岸に向かっている時の出来事でした。その湖の向こう岸とは、異邦人のところを示し、一行はその異邦人の地へ向かっていたのです。よく考えてみると、ユダヤ人が異邦人の地に行くのは、ある程度、危険性を覚悟しなければならないことでしょう。でも、イエス様はその異邦人たちにも神様の国の福音を知らせたかったに違いありません。

しかし、イエス様の一行はその異邦人の地域に入る前、湖で死ぬかもしれないほどの状況に遭いました。突然の強い風で湖は大きな波を起こし、船は沈みそうになったのです。しかも、時間は夜。何も見えない真っ暗闇の中で、激しい風や波と戦う弟子たちはどれほど怖かったでしょうか。でも、イエス様は、なんと艫の方で枕をして眠っておられました。そこで、弟子たちはイエス様を起こし、助けを求めたのです。その叫び声を聞いたイエス様は、風を叱り、湖に、「黙れ、静まれ」と言われました。すると、風はやみ、すっかり凪になったのです。それから、イエス様は弟子たちに、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と言われ、彼らの不信仰を戒められました。その出来事を目にした弟子たちは、非常に恐れました。そして、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか。」と互いに言ったのです。

ここで、ちょっと一緒に考えてみましょうか。「イエス様は本当に気持ちよく眠っておられたでしょうか。」多分、そうではなかったと思います。というのは、イエス様の眠りを妨げたのは、その厳しい風と激しい波ではなく、むしろ、慌てふためいていた弟子たちの叫び声が、イエス様の眠りの妨げとなったかもしれないという気がします。

イエス様は、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」とおっしゃいました。それは単に、風と湖に向かう叱責や戒めだったでしょうか。実は、弟子たちの心にあった様々な不安、心配、憂い、悩み、騒ぎへの叱責と戒めではないでしょうか。或いは、彼ら自身の心の複雑な心境から、それぞれ自分の力だけに頼ろうとする、バラバラになった弟子共同体への叱責と戒めだったかもしれません。その日、弟子たちはイエス様と一緒に、自分たちの地元から離れて、異邦人のところへ向かっていました。それは、神様の国の福音を宣べ伝えるためだったでしょう。

イエス様は御国の生き方を示し、また、教えるために来られました。それは、すべての人がその生き方に沿って生き、それによって御国の喜びを味わえるようにするためだったのです。その喜びの知らせ、それがまさに福音でしょう。その大事な使命を果たすにあたって、イエス様は弟子たちを選び、弟子たちもその使命に与るようにと招かれたわけです。そして、今日、その使命を果たすためには、必ずイエス様に頼らねばならないことを悟らせてくださいました。

その諭しは福音を宣べ伝える使徒となった弟子たちにとって、とても大事なことでした。彼らはもう、イエス様を目にすることができなかったでしょう。しかし、弟子たちは、イエス様が聖霊を通して、いつも自分たちと共におられ、共に働いてくださることを信じて、彼らは福音を伝えることができたわけです。わたしたちもイエス様の使命、弟子たちの使命に与るように招かれています。弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう。」という新しい疑念が生じたでしょう。イエス様はわたしたちの心の風、波、騒ぎ、疑いを静め、正しい道と生き方に導いてくださる方なのです。ですから、色々な不安、心配、憂い、悩み、苦しみがあっても、自分の力ではなく、イエス様に頼りましょう。神様の国の民として、福音の喜びを分かち合い、神様のみ旨に適うことを調べ合い、それをともに実践してまいりましょう。イエス様がいつも、信者の皆さんを守ってくださるよう、心を込めてお祈りいたします。