姜真求神父 復活節第5主日の説教

 

 今日は「母の日」です。韓国では5月8日は「父母の日」と呼ばれ、自分の親に感謝の心を込めたカーネーションの花束や特別なプレゼントを差し上げたりします。これは日本も同じだと思います。命ある全てのものには親がいて、その親から生存の為の様々なことを学びながら育ちます。特に、人間はほかの動物よりもはるかに長い間、親のもとで養われます。その間、人は人間としての様々で複雑な生き方を学びながら一人前となりますが、独立した後も親との格別な絆は変わることがありません。むしろ、年をとればとるほど、自分の親をもっと強く慕うものが人間ではないかと思います。今日、「母の日」を迎えて、母親だけではなく、全てのお父さんとお母さんに神様からの豊かな恵みが与えられ、また、亡くなられた父母の方々には永遠の命が与えられるよう、お祈り致します。併せて、信仰の父母である全ての代父母には、より深い信仰と霊的な導きが与えられるよう、お祈り致します。

 さて、先週の主日の福音を通して、私達はイエス様が真の羊飼いであることが分かりました。イエス様はいつも私達と共におられ、ご自身の命を懸けて私達の命を守り、また、新しい永遠の命に導いて下さる方です。そのイエス様が今日の福音で「私は道であり、真理であり、命である。」と言われ、ご自身を新たに示されました。ところが、この言葉は最後の晩餐での言葉で、その時、弟子達の足を洗われたイエス様は「互いに愛し合いなさい。」というご自身の掟を教えられました。それからイエス様はご自身が弟子達を離れて、御父の所に行かれるとおっしゃいましたが、彼らはその御言葉が分からなかったし、むしろ、その言葉で心が騒ぐようになりました。それでイエス様は先ずはっきりと、「心を騒がせるな。」と言われ、自ら弟子達を御父である神様の所に導かれることを約束して下さいました。つまり、真の羊飼いであるイエス様はご自身の羊の群れを見捨てられず、必ず、永遠の牧場に導いて下さるということです。イエス様はこの言葉を通してご自身が御父に至る道であり、御父が望んでおられる人間の生き方を表す真理であり、また、人間が目指すべき永遠の命であるので、それに希望を置くことをはっきりと教えられたのです。

 こうして、イエス様はご自身がすでに御父である神様と一致しておられることを教えてくださいましたが、それを聞いたフィリポはイエス様に「御父をお示しください。」と願いました。それに対してイエス様は再び、「私は父の内におり、父は私の内におられる。」ことを確かめられました。そして、イエス様のすべての御業は御父の御業であって、同じく、ご自身を信じる人たちもそういう御業を行うことができると言われました。それは、信仰によるもので、イエス様ご自身が御父と一致しておられるように、信じる人も信仰によってその一致に与れるということを教えられたのです。言い換えれば、先週の御言葉や今日の御言葉を通して、私たちは御父である神様との一致を求めねばならないし、その為には、常に道であり、真理であり、命であるイエス様、また、真の羊飼いであるイエス様から離れてはいけないことを学べるのです。

 イエス様との一致やイエス様から離れてはいけないことを知っていても、実際、この世の中で過ごしている教会は色々な誘惑に晒されています。今日の第1朗読はそういう誘惑が教会の中にもあることを示しています。それは簡単に書かれていますが、生まれたばかりの初期教会は食べ物の配膳をめぐる不満や差別などの挑戦を受けているように見えます。その食べ物とは、元々は奉献物だと言えます。つまり、最初の教会では皆が自分の食べ物をもって来て、言葉の祭儀と感謝の祭儀を行いました。言い換えればその食べ物はミサの奉献物だったのです。彼らはミサが終わってからそれを分かち合いましたが、いつの間にか、異邦人とユダヤ人の間に差別や不満が起きたということです。その騒動が大きな問題になり、使徒達は教会の皆さんの中から7人の奉仕者を選び、彼らにその配膳の仕事を任せることにしました。所謂、最初の助祭の仕事が設定されたのです。その葛藤を解決する為、使徒達は先ず、食べ物よりイエス様の御言葉に務めることの大事さをはっきり教えた上で、7人の助祭を選びました。それは教会が世の中の生き方に沿ってではなく、イエス様の御言葉と愛の生き方に沿って生きるべきことを示す為でした。併せて、使徒ペトロは自分の手紙を通しても、教会とはどんなものかを教え、そのアイデンティティを忘れないようにとしました。ペトロは、信仰の道に招かれた人々は神様の神殿に使われる『生きている石』となるべきで、彼らは親石であるイエス様に組み合わせられて、神様の神殿を築くことになると教えました。そのペトロの勧めは本当に美しく荘厳なことで、今もミサの中の叙唱としても使われています。それは「主・キリストは過越しの神秘によって偉大な業をなしとげられ、私達を罪と死の軛から栄光にお召しになりました。私達は今、選ばれた種族、神に仕える祭司、神聖な民族、贖われた国民と呼ばれ、闇から光へ移して下さったあなたの力を世界に告げ知らせます。」と言う箇所です。だからこそ、真の羊飼いに導かれて真理の道を歩みながら、永遠の命である神様の国への旅をしている教会、すなわち、私達信仰のある人はその品格を忘れずに、また、イエス様の御言葉と御体のあるところである教会から離れずに生きるべきです。

 さて、私は小学校3年生の頃、おじいさんから漢字を学びましたが、中学校に入ってからは本格的に漢字を学びました。ある日、漢字の授業の中で「政治」という漢字を学びましたが、そのとき先生から聞いたことを今一度思い出しながら、新たにその意味を調べました。簡単に言えば、その意味は「正しい道理で人を導き、水で人の渇きを癒すこと」だそうです。つまり、政治とは正しい道理に沿って、人の命を守ることだということです。今回、新型コロナウイルスのために多くの人々が悲しみと苦しみに包まれていて、その出口が見えない状況で、この病気の発源をめぐる議論が始まり、多くの国の政治家たちがそれに加わろうとしていることが気になります。彼らの本音は言うまでもなく、政治的な野心と責任回避でしょう。彼らは自分の国民を正しい道ではなく、憎しみと恨みの道に導こうとしているに違いありません。その道の果てには命どころか、もっと深い罪と死だけがあるはずです。そういう動きに乗って世界の人々が敵対心に覆われるのは、決してあってはなりません。イエス様はそのようなことはなさいませんでした。むしろ、イエス様は神様の意向である真理の道、愛の道に人を導き、人に永遠の命を与えるために来られました。ですから、信仰のある人なら、世界のその愚かな動きとも戦わなければならないと思います。

 聖母聖月の母の日、私達の母である聖母マリアをたたえながら、マリア様が今の私達の為に祈ってくださることを願います。私達の祈りとマリア様の祈りが神様に受け入れられ、私達が神様からの慈しみと愛を頂くことができますように。アーメン。

 

カトリック二俣川教会主任司祭  ヤコブ姜 真求

 

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