クリスマス、おめでとうございます。新たにお生まれになったイエス様の愛と平和が、信者の皆さんに豊かに注がれるよう、お祈りいたします。今年は「新型コロナウイルスの年」と言っても過言ではないほど、年明けから毎日、この病気に関する話ばかりでした。でも、状況は変わらず、むしろ、もっと厳しくなっているようです。多くの人々がすでに大切な命を失い、また、全世界のすべての人がこの病気との戦いに全力を尽くしている現実です。どれほどの代価を払ったら、この悲しくてつらい時間が終わるかは分かりませんが、何よりも大切な命がこれ以上失われないよう、すべての人が心と力と知恵を一つにすべきだと思います。そのために、私たちはもっと切に神様に祈り、神様の慈しみと助けを求めなければならないと思います。どうか、赤ちゃんの恵みによって、私たちがこの危機から守られ、すべての人が神様を真の命の主であることを認めることができますように。

さて、先週の日曜日、私は教会学校の子供たちと共に、小さなクリスマス会を行いました。今年は信者の皆さんと共にすることができずとても寂しかったですが、とにかく、子供達との素朴なクリスマス会は、短い時間でしたが、特別な感動を与えてくれました。その集いの中で、私たちは『ファーストクリスマス』という短いアニメーション(映画)を見ました。その内容はタイトルが示している通り、イエス様誕生のお話でしたが、そこで、わたしが感じたことを少し分かち合いたいと思います。そのアニメーションは、東方からイエス様の所へ向かう三人の博士たちの姿から始まりました。それから、マリアとヨセフのベツレヘムへの旅や、荒れ野で天使たちの知らせを受けた羊飼いたちの辿り、そして、その全ての人々が赤ちゃんのイエス様の前に集まって喜ぶ場面で終わりました。私はそのアニメーションを見ながら、その全ての人々が神様の御言葉に従って、イエス様に出会うことができたと思いました。確かに、マリアは御言葉を受けてイエス様を身籠り、ヨセフはガブリエルの話を受け止めてマリアを妻に迎え入れ、荒れ野の羊飼いたちは天使の知らせに従って辿り、博士たちは星に導かれました。そうして、皆が最後には預言者の預言を受け入れて、命の主であるイエス様に会うことができたのです。やはり、私たちも神様の御言葉に従い、また、導かれることによって、イエス様に会うことができます。その神様の御言葉は慈しみと憐れみと愛の御言葉で、それに従わずにイエス様に会えることなどあり得ないことです。

ところで、誕生という言葉は、言葉の「言」と、延ばすの「延」、また、生まれるの「生」という漢字の組み合わせで成っています。言葉遊びのような気がしますが、神様の御言葉であるイエス様は人間の救いのため、私たちと同じ姿でお生まれになりました。それは私たちがイエス様のように生きることによって、神様の永遠の命に与ることができるようにするためでした。神様はその御言葉をすべての時代のすべての人にまで延ばされ、皆が真の命に与れることを望んでおられるのです。もし、「誕生」という言葉をこのように解くならば、確かに、私たちは神様の御言葉に従わなければ、生きていても、生きているとは言えないでしょう。今まで人類はこの世の様々なやかましい声に耳を傾け、神様の御言葉からは遠ざかってしまったと思います。併せて、この新型コロナウイルス禍でのイエス様の新たな誕生の意味を、もっと真剣に受け止められたら幸いです。この聖なる日を過ごしながら、私たちがイエス様に倣って、神様だけに従う人となることができるよう、心を込めて祈りましょう。

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