今日は世界召命祈願の日で、私たちが神様に招かれて神様の子供となったことを改めて悟り、それぞれの生活の現場で、その神様のみ旨を行うことができるよう、神様の恵みを祈り求める日です。人間の知識や様々な技術などが、神様の計らいよりも大事にされている現代世界の中で、信仰を保つことやその道を歩むことの難しさは言うまでもないことでしょう。ただ生きている間の幸せを追い求めている今の時代の人間は、まるで、「道でさまよっている羊」のように見えます。こんな状況の中で、神様の教えはもう古いもののように見なされ、更に、その教えに反する悪い風潮や雰囲気は、信仰のある人々の苦しみと悩みを一層深めています。どうか神様の力と知恵の霊が信者の皆さんを守って下さるよう、祈るばかりです。信者の皆さんも全世界の教会と心を一つにして、全ての司祭や修道者が神様の召命の大事さを悟り、信仰の導き手としての役割を、気を落とさず、果たすことができるようお祈りください。また、多くの人々、特に、若い人たちが司祭や修道者の召命をいただき、その道を歩むことができるよう、信者の皆さんの祈りをお願いいたします。

今日の福音の中で、イエス様は自らをよい羊飼いだと言われ、雇い人とは違うともおっしゃいました。雇い人は羊の群れが自分のものでもないし、羊のことを心にかけていないので、狼が襲ってきたらすぐ羊の群れを捨てて、自分の命だけを守るため逃げてしまうはずです。しかし、良い羊飼いは自分の羊の群れから離れず、最後の最後までその群れを守るために戦います。そして、羊の群れも慌てふためいて散ることなく、羊飼いと一緒にいます。それは、羊飼いは自分の羊の群れを知っていて、羊の群れもその羊飼いをよく知っているからです。こうして、良い羊飼いは自分の羊の群れを健やかに育てますが、彼はもっと多くの羊を得るために働きます。それは自分の羊の群れをもっと豊かにするためです。彼にとってはそれが自分の使命を果たすことで、大きな喜びでしょう。

 イエス様はこの例え話を通して、神様がイエス様を遣わされた目的と、どうしてその目的をかなえることができたのかを明らかにされました。つまり、神様は人間が世の中の色々な誘惑や、それにつまずいて犯す罪のために滅びることではなく、生きることを望んでおられ、私たち人間を救うためにイエス様をよい羊飼いとしてお遣わしになったということです。その救いの計画を完成するためにイエス様は十字架上で命を捧げられましたが、それこそが神様の御心に適うことだと、イエス様は理解しておられたでしょう。イエス様はそういう認識を、今日の福音の最後の箇所ではっきりと言われました。即ち、「これは、わたしが父から受けた掟である。」という御言葉ですが、イエス様はご自分の命をかけて人間を救うことを、神様から受けた掟のように受け止められたのです。それほど神様とイエス様は私たち人間を憐れみ、また、愛しておられます。昔、神様は原罪を犯したアダムとエバを、エデンから追い出されましたが、それは人間を諦めたことではありません。むしろ、旧約の歴史を見たら、神様が人間にどれほど寄り添おうとされたのかが分かります。神様は多くの預言者を遣わされて、罪の道を歩んでいた人間をご自分への道に導こうとされたでしょう。しかし、人間はその神様の声に耳を傾けようとはせず、神様ではなく自分たちの力や知識に頼り、現世的な幸福だけを得ようとして、互いに憎み合い、戦い合いながら罪に罪を重ねてきました。でも、神様はそんな人間を救うため、最後にはご自分の独り子を遣わされ、その命を人間の罪に対する身代金として払われたのです。イエス様は神様から遣わされて人間に向かう神様の愛を証しし、また、良い羊である神様の姿を示してくださいました。

今日の第1朗読で、ペトロはイエス様の御名によって癒された人のことで、イスラエルの指導者たちから尋問を受けました。そこでペトロは、彼らの愚かな犯罪、すなわち、イエス様を殺してしまったことを明らかにしながら、しかし、それが神様の救いの計画であることを語りました。神様は彼らが邪魔だと考えて自分たちから取り除こうとしたイエス様を、最も大事な親石とされたのでしょう。ペトロは民の指導者たちがそれを悟って彼らも救われることを望み、とても穏やかな言葉で彼らを悟らせ、彼らをイエス様の羊の群れに導こうとしました。それはイエス様から学んだことで、ペトロはイエス様の愛を持って人々をイエス様の救いに与らせようとしたのです。勿論、指導者たちはそれを拒み、それからペトロを始め、他の使徒たちやイエス様を信じる多くの人たちが迫害を受けましたが、彼らは神様の愛と憐れみに全てを任せました。それは希望があったからです。その希望とは、神様が必ず自分たちを復活させ、イエス様の永遠の命に与らせてくださるということです。その希望については今日の第2朗読にも書いてありますが、父である神様がイエス様を通して証しされた復活の栄光を、神様の子供となった人たちにも与えてくださるということです。ですから、今の時代の様々な誘惑の中で生きている私たちも、真の羊飼いであるイエス様に従って生きるべきです。特に、新型コロナウイルスの影響で、信仰が揺るがないようにし、御言葉とご聖体によって養われること、つまり、ミサに与ることが大事だと思います。

さて、私は今日の福音を「良い羊飼いのうた」と言いたいと思います。やはり、今日の福音は、羊の群れのために命をかける良い羊飼いの幸せと喜びとを謳っているようです。その「良い羊飼いの歌」に対して、私たちはどういう歌で答えたらよいでしょうか。詩編23編に耳を傾けてみましょう。「主は我らの牧者、わたしは乏しいことがない。神はわたしを緑の牧場に伏させ、憩いの水辺に伴われる。神はわたしを生き返らせ、慈しみによって正しい道に導かれる。例え死の影の谷を歩んでも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共におられ、その鞭と杖はわたしを守る。あなたははむかう者の前で、わたしのために会食を整え、わたしの頭に油を注ぎ、わたしの杯を満たされる。神の恵みと慈しみに生涯伴われ、わたしはとこしえに神の家に生きる。」私はこの詩編が「良い羊の群れの歌」だと思います。神様の良い羊飼いとして遣わされたイエス様に素直に従うこと、これこそ良い羊の群れの姿でしょう。私たち一人一人がイエス様に忠実に従う良い羊となることができるよう、心を込めてお祈りいたします。

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