今日の福音は、二匹の魚と五つのパンで五千人以上の群衆が満腹した奇跡の結論であると言える箇所です。この素晴らしい奇跡は、イエス様の御言葉を聞き、また、病気を癒していただくため集まった群衆に向かうイエス様の愛から始まったと言えます。イエス様はその群衆のために、ある一人の少年からもらった二匹の魚と五つの大麦パンを感謝と賛美の祈りで祝福され、それを群衆に与えられました。そこで、誰もが思いもかけなかった奇跡が起き、みんなが満腹した後、残ったパンのくずで12籠がいっぱいとなったわけです。それを経験した群衆は翌日にもイエス様のところに集まりましたが、イエス様は彼らがただのパンをもらうために来たのを、既に知っておられました。そこで、イエス様は御父が導いてくださらなければ、誰もご自分のところに来ることができないことや、ご自分を信じることによってすべての人が救われることを教えて下さいました。また、イエス様ご自身の肉を命の食べ物として食べなければ永遠の命に与れないことをも明らかにされました。しかし、ただ体のためのパンを求めていた群衆の頑なな心は変わらず、むしろ、イエス様を疑い、ついにイエス様から離れようとしていたのです。

今日の福音で、群衆はイエス様のみ言葉、すなわち、イエス様ご自身の肉が真の食べ物であるという話を聞いてつぶやきはじめました。きっと彼らは、イエス様がご自身の肉を食べさせようとしておられると思ったのでしょう。しかし、イエス様がおっしゃったのは、ご自分が罪人のためのいけにえ、つまり、神様の小羊となることで、イエス様は昔の契約の民がエジプトから救われるために屠った小羊のように、自らが屠られることを前もって示されたわけです。イエス様はそれが御父の救いの計画であることを知っておられ、その計画を全うするために世に来られました。その救いの計画は神様の慈しみと愛によるもので、神様は自分の罪を自ら洗えない人間のために、ご自分の独り子を救いのためのいけにえとされたのです。これは何と深い愛でしょう。イエス様はその救いの計画の完成を、二匹の魚と五つのパンの奇跡を通して前もって示し、それを経験した群衆を神様の慈しみと愛による救いに導こうとされましたが、残念なことに、心の鈍く、世の中の様々な誘惑や欲心に拘っていた群衆は、そのイエス様の声に耳を傾けず、イエス様から離れてしまいました。

きっとイエス様は、ご自分から遠ざかっていた群衆の後ろの姿を見つめながら、深い悲しみを覚えておられたに違いありません。そしてご自分が選ばれた12人にも、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われました。その時、シモン・ペトロは私たちもよく知っている言葉で、イエス様にこたえました。それは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」という言葉なのです。これは大変重要な信仰告白で、ある意味において、私たちの信仰の生活を導いてくれる言葉でもあると思います。言い換えれば、今日、シモン・ペトロはすべての群衆が躓いたイエス様の御言葉を、素直に受け止めたということです。その受け止めるという姿勢は、他の言葉で言えば「認める」ことでしょう。シモン・ペトロと11人の弟子たちはイエス様が永遠の命を持つ方であることを認め、それから、その御言葉を永遠の命の糧として受け止めたのです。その素直な信仰の姿勢があったので、彼らはイエス様の最後の晩さんに与り、イエス様ご自身の真の形、すなわち、パンの形の御体とぶどう酒の形の御血を頂くことができたのでしょう。彼らはかつてイエス様がおっしゃった通り、「イエス様のところに来て、その御言葉を信じ、また、御体を食べたのです。」しかし、そんな彼らでしたが、その中の一人はイエス様を裏切り、また、ほとんどはイエス様の十字架上の死から離れてしまいました。彼らは自分たちも死ぬかもしれないという恐れと絶望で、もうそれ以上、イエス様のところにはとどまりたくなかったのです。でも、復活されたイエス様は散ってしまった弟子たちを再び呼び集めてくださり、彼らに神様の慈しみと愛による救いを宣べ伝える使命を授けられました。こうして、彼らは今度こそイエス様の愛から離れず、その愛にとどまりながら、自分たちも命をかけて、イエス様が真の命の糧を持つメシアであることを証ししたのです。その弟子たちの様子は、私たち信仰のある人たちが学ばなければならない様子だと思います。それは、「先ず、神様に導かれてイエス様のところに来ることと、イエス様の御言葉を聞いて信じること、そして、イエス様の御体をいただいて食べることと、イエス様のところにとどまること」なのです。そのイエス様のところとは愛の御心で、その愛が現れる聖体の秘跡でもあります。

私たちはミサの中で、ご聖体をいただく前、次の言葉を唱えます。「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう。」と。それはまさに、今日のペトロの信仰告白でしょう。神様の慈しみと愛そのものであるイエス様のほかに、私たちがとどまる所はあり得ません。今日の第2朗読は、そのイエス様と私たちとの絆を夫婦の絆に例えながら説明していますが、イエス様との絆は最上のものでしょう。それを認めてイエス様のところに集まること、また、み言葉とご聖体の神秘に与ってその愛にとどまることを大事にすべきです。残念なことに、緊急事態宣言の延長のために、私たちが共に捧げるミサも中止せざるを得なくなりました。信者の皆さんには、ご迷惑と混乱とをもたらしてしまって本当に申し訳ない気持ちばかりです。しかし、これをきっかけとして、私たちの永遠の宴であるミサの大事さを改めて考えることができれば、それもむしろ恵みとなると思います。私たちが再び共にミサを捧げる日まで、神様が信者の皆さんを守ってくださるよう、お祈り致します。

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