神学校1年生の夏休みに、わたしはソウル教区で行われた神学生の夏休みの企画に参加しました。その企画とは「徒歩聖地巡礼」というもので、1週間毎日徒歩で何箇所かの聖地を巡礼するものでした。一日の歩く距離は毎日異なりましたが、中でも一番長かったのは、一日で40キロメートルの距離を歩くコースでした。その日、わたしたちは韓国の最初の司祭である聖金(キム)大建(デゴン)神父様が生まれた所を出発して、6年に渡って千人以上の信者たちが殉教したある聖地まで歩きました。夏の暑い日差しの中で歩くのはとても苦しかったですが、皆、殉教者たちの信仰と苦しみを黙想しながら黙々と歩きました。そして、迎えた最後の5キロメートルほどをみんなで走ることにしましたが、結局、皆、ばらばらになってしまい、わたしたちは三人か四人という小さなグループで、それぞれ目的地に向かいました。でも、初めての道で、地図も持っていなかったので、ゴールがどれくらい遠いのか分かりませんでした。誰かに道を訪ねたくても、人里離れた田舎の道で人に出会うことは期待できないことでした。仕方なく色々な不安に包まれながら歩いていたその時、遠くから自転車に乗って来る一人のおじさんが見えました。本当に助かったという嬉しい気持ちいっぱいで、そのおじさんに、目的地までどれほどかかるのかを聞いたところ、そのおじさんは、「もうすぐだよ。ちょっとだけ歩いたら、すぐ着くだろう。」と答えてくれました。その答えを聞いた私たちは、「もう一度、力を絞って頑張ろう。」と互いに励まし合いながら歩き続けました。ところが、歩いても、歩いても、おじさんの答え通りではありませんでした。結局、わたしたちはそのおじさんと別れてから1時間半ぐらい歩いて、ようやく目的地に着いたのです。その夜、わたしたちは『「もうすぐ」とは「まだまだ」という意味であろう。』と、口々に言い合いながら苦笑いしました。

今日の福音でイエス様は、ある律法学者から「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」という質問を受けられました。そこでイエス様は、今日の第1朗読のみ言葉を引用されて、「心と精神、また、思いと力を尽くして唯一である主を愛すること」を第一の掟として教えられ、更に、「隣人を自分のように愛すること」を第二の掟として教えてくださいました。その教えを聞いた律法学者は、イエス様のお答えをことごとく繰り返して言い、更に、その二つの掟こそが「どんな焼き尽くす捧げものやいけにえよりも優れています。」と答えました。イエス様は彼が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない。」と言われ、彼を誉められました。

事実、今日イエス様が引用された申命記のみ言葉は、イスラエルの民なら、誰もが知っている掟なのです。つまり、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。」という掟は、すべての掟の基のようなものだということです。モーセはイスラエルの民が荒れ野で40年間過ごしていたとき、彼らにそれを教えました。モーセはその掟を守ることによって、イスラエルの民が神様からの豊かな恵みをいただき、約束された土地で大きな民族となると宣言したわけです。ところが、その掟にはイエス様がおっしゃった第二の掟、すなわち、「隣人を自分のように愛しなさい。」という掟は、はっきりと示されていません。実に、これはレビ記のみ言葉で、イエス様はこの二つの掟を上げられながら、人間が神様への愛をどのように実践できるのかを教えられたわけです。言い換えれば、イエス様は、人間が目に見えない神様を愛するのは、目に見える隣人を愛することによってできる、と教えられたのです。これはイエス様ご自身が示してくださった救いの御業を通しても、明確に分かります。イエス様は、神様の独り子でありながらも、人間の救いのためにご自分のいのちさえ惜しまなく捧げられました。イエス様は人間を愛することによって、神様への愛を全うすることができるのを、そのように示されたのでしょう。それについて今日の第2朗読も語っていますが、十字架上の死をもってすべてのいけにえを完成されたイエス様は、他の大祭司たちのように自分や民の罪のため、毎日いけにえを捧げる必要はありません。イエス様はそのただ一度の救いの御業によって永遠の大祭司となられ、「ご自分を通して神様に近づく人たちを、完全に救うことがお出来になった。」わけです。わたしたちはそのイエス様を救い主として信じており、イエス様のように生きること、すなわち、目に見える隣人を愛することによって、目に見えない神様を愛することができるのです。

ところで、今日イエス様はあの律法学者に、「あなたは神の国から遠くない。」とおっしゃいましたが、わたしにとっては昔の聖地巡礼の時、道で会ったあのおじさんの、「もうすぐだよ。」という答えのように聞こえました。教会や神様への愛、また、隣人への愛に関する多くて細かいことを全部知っていても、その愛を実行しなければ、神様の国に着くことはできないでしょう。そういう知識は意味のないものに違いありません。そういう知識に満足して、神様への愛の表現である隣人への愛を実践しなければ、その人はいつも神様の国からただ遠くないだけで、そこに辿り着くことはできないでしょう。「もうすぐ」とは「まだまだ」ということで、近づいたことで満足することなく、もっと心と精神、思いと力を尽くして隣人を愛し、それで神様への愛を捧げることができると思います。これからも私たちがイエス様の愛を実践することができるよう、お祈り致します。

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