ついに、赤ちゃんのイエス様がお生まれになりました。主の降誕の喜びと恵みが信者の皆さんの上に、また、ご家族の上に、豊かに注がれますように。主でありメシアであるイエス様の誕生は、罪と死の影にあるすべてのものに、救いの光をもたらしてくれる出来事でした。神様は、罪の重荷に喘ぎながらも、自分の力ではその重荷から解放することのできない人間のために、大事な独り子を贖い主として遣わされました。ところが、その偉大な救い主の誕生は、人間の常識と大きくかけ離れていました。イエス様の両親は貧しい大工のヨセフとおとめマリア、また、その誕生のために用意されたのは、安楽なベッドではなく、家畜のにおいがする馬小屋と飼い葉桶と布だけでした。誰もが見てもこれは神様の独り子であり救い主である方の誕生にはふさわしくないように見えます。

しかし、わたしたちは、この世で初めての「みすぼらしいクリスマス」から、神様が望まれた救い主の姿を見つけることになります。それは弱くて憐れな羊の群れの導き主、養い主でしょう。それは荒れ野で、羊の群れを守っていた羊飼いたちに現れた天使の話からも分かります。そのとき、天使は彼らに「あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と語ったのです。それを聞いた羊飼いたちは、イエス様の馬小屋を探し訪ねてイエス様に会い、自分たちが天使から聞いたことを人々にも聞かせてくれたわけです。きっと、そのとき、彼らの羊の群れも一緒にやって来て、その馬小屋の周りは羊の群れの声やにおいでいっぱいになったでしょう。そんなところに、次には、三人の博士たちも辿ってきました。彼らは新しい星に導かれてきましたが、しばらくは自分たちの思いのままに足を運び、ヘロデの宮殿に辿り着きました。しかし、神様は彼らの歩みがそこで留まらないようにしてくださり、彼らもイエス様に会う喜びを味わうことができました。三人の博士たちも救い主を待ち望んでいた一人として、イエス様の羊の群れに加えられたに違いありません。真の羊飼いであるイエス様にとって、ご自分の誕生を待っている人であるなら、身分や職業、知識や経験、貧富の格差などの基準は、もう意味のないものなのです。むしろイエス様はご自分の誕生を待ち望みながら、自分をへりくだる人であるなら誰でも、ご自分の羊の群れに迎え入れ、その誕生の恵みを与えてくださいます。そして、その羊のためにご自分の命を捧げて、備えておかれた命のパンと救いの盃で、その羊の群れを養ってくださるのです。

今わたしたちが生きているこの世界には、このような導き主、養い主が必要です。世の中の様々な基準や規則は人を分け隔て、そのために色々な争いや戦いが生じ、その結果、互いに憎み合い、ねたみ合い、また、恨み合うことになるのです。世の中の多くの人々、特に、あらゆる分野の指導者たちは、自分なりの平和の道を示しながらそれを築こうとしていますが、なかなか、その平和が訪れて来ないのはなぜでしょうか。それは皆、高ぶる心や自分のことだけを守ろうとする心に捕らわれているからでしょう。そして、自分たちの道に全ての人が導かれるべきと思っているからです。でも、イエス様はただ御父の意向に従い、ご自分を通してすべての人が神様への道を歩めるように自ら小さなものとなり、すべての人の救いのため、自ら命を捧げてくださいました。ですから、わたしたち信仰のある人々も、そのイエス様に倣って、自らを低くし、また、互いに尊敬し合い、愛し合うべきです。それこそが、イエス様の誕生を自分の誕生として受け止める人の真の姿でもあります。

さて、イエス様は飼い葉桶に寝かせられました。飼い葉桶とはどんなものでしょうか。それは家畜に餌を食べさせるためのものでしょう。イエス様は自らその飼い葉桶の餌となられました。ご自分の羊の群れであるわたしたちにご自分の命を与え、わたしたちがご自分と永遠に生きることができるようにするためです。飼い葉桶の前の羊たちが同じ餌を食べることと同様に、わたしたちも、ただイエス様の一つの群れとして、イエス様の一つの体を食べ、一つの命に与るのです。改めて、わたしたちの救い主、導き主、養い主であるイエス様の誕生が、信者の皆さんの新しい誕生となるよう、また、その恵みと喜びが信者の皆さんをいつも守ってくれるよう、お祈りいたします。

神父様のお説教ふりがな付き

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