「死に打ち勝ったイエス・キリスト、復活されました。アレルヤ、アレルヤ。」ついに、キリスト・イエス様が復活されました。イエス様のご復活おめでとうございます。その復活の喜びを信者の皆さんと共にしつつ、死を滅ぼして復活されたイエス様の命と恵みが、信者の皆さんの上に豊かに注がれるよう、お祈りいたします。また、イエス様がご自分の復活の光ですべての人を照らし、今の時代のわたしたちを真の平和の道に導いてくださるよう、お願いいたします。

慈しみ深い神様は、その昔、葦の海、すなわち、紅海を開けて道を開き、その道が荒れ野にも繋がるようされました。旧約のイスラエルの民は、その道を通して約束の地まで歩き抜くことができたのです。その神様はイエス様が十字架の上で亡くなられた時、神殿の垂れ幕を真ん中から裂き、人間とご自分との間の垂れ幕を取り除いてくださいました。そして、イエス様の十字架を通して、ご自分と人、また、人と人との間をつなぐ道を築き、更に、イエス様のお墓を開けて、永遠の命に至る道を開いてくださったのです。こうして、神様は罪と死の暗闇にある人々を救いの光で照らし、その光の中で赦しと和解の道を示してくださったわけです。それを考えたら、確かに神様はイエス様の死と復活を通して、赦しと和解による救いの道、命の道を示し、その道にわたしたちを導いてくださることが分かります。そういう意味で、イエス様の復活はわたしたちの信仰の基礎であり、その復活の信仰に基づいてわたしたちは洗礼を受け、神様の子供となる恵みをいただいているのです。ですから、わたしたちもイエス様のように生き、赦しと和解、愛と平和の道を歩むべきです。なぜなら、その道こそが、わたしたちを復活と永遠の命に導いてくれるはずだからです。

そういうイエス様の復活の意味を考えながら、わたしは今の時代のわたしたちの愚かさについて言わざるを得ないことを残念に思います。二年以上、新型コロナウイルスのために全ての人が苦しんでいるこの時、ウクライナの事態は第三次世界大戦への恐れをもたらしています。やっぱり、人類の歴史は変わらず、繰り返されるものでしょうか。去年はミャンマーで、今年はウクライナで、権力を握ろうとする人たちや、その権力をもっと強めようとする人間によって、人類の苦しみと悲しみは増しています。この新型コロナウイルスのために数えきれないほど多くの人々が命を失い、まだその終わりも見えないのに、今度は戦争で命を奪うのは、何と愚かで利己的なことでしょう。人間は自分を守るため、他の人の命を奪うことなど当然のことのように考えているようです。こんな状況の中で、信仰のあるわたしたちができることは、もはや無いような気がするのも事実です。

しかし、イエス様は、この無力なわたしたちのための模範として、十字架の道を歩まれました。そして、ご自分の命を捧げて、人間の命を救おうとする神様の救いの計画を全うされたのです。それは、わたしたちもその道を歩むことによって神様と和解し、互いに和解し合うことができるということを示すためでした。確かに、イエス様は十字架上で手を広げて、神様との仲介者、人と人との仲介者となってくださったのでしょう。イエス様の十字架と復活は、無力な私たちを力づけてくれる出来事で、わたしたちはそれを素直に受け止めることによって、このよこしまな世の中でも、命を守るための務めを果たすことができるのです。イエス様が教えてくださったのは、裁きではなく赦しであり、戦いではなく和解なのです。また、その教えは、憎しみではなく愛であり、わたしたちはその教えから力を得、イエス様のように生きていけるのです。

 改めて、イエス様の復活の恵みが信者の皆さんに注がれ、また、とどまり、信者の皆さんの心と魂がその復活の喜びに満たされて、いつまでも復活の証人として生きていくことができるよう、お祈りいたします。

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