今日は三位一体の祭日です。聖霊降臨によって、神様は御父と御子と聖霊の三位の方であることと、その三位は別々の神様でなく、分かれることのない唯一の神様であることが明らかになりました。そこで、全世界の教会は聖霊降臨の次の主日、つまり今日、神様の神秘を荘厳に告白しつつ、神様に賛美と感謝を捧げるのです。教会にその神秘が示されたのは、なんと幸いなことでしょう。その神秘を知り、また、信じることによって、教会はイエス様の血による新しい契約の民となり、イエス様ご自身が約束された聖霊降臨によって、その事実がはっきりと証しされたわけです。こうして、教会は創造主である御父と、救い主である御子、また、その御父と御子の交わりから湧き出て注がれる聖霊が唯一の神様であることを信じているのです。その三位一体の神様は、今も、聖霊を通してわたしたちのうちにおられ、わたしたちを守り、また、導いてくださり、その慈しみと愛による救いの御業を続けられます。その神様の救いを告げ知らせる使命は教会に委ねられていて、わたしたちも至る所でその神様の慈しみと愛による救いを証しするため、務めなければなりません。それはイエス様がかつて、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」とおっしゃった通りです。これこそが、いわゆる福音宣教の使命であり、わたしたちは日々の生活の中で、どんな形であっても慈しみ深い三位一体の神様を証ししなければなりません。

この三位一体の神様の神秘と救いの御業は、特に、典礼の中でより明確に示されています。わたしたちはすべての祈りの前後に十字架のしるしを切りながら、「父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」という祈りを唱えますが、これも三位一体の神様の神秘を示す、大事な典礼礼拝の一つでしょう。そして、何よりもミサの中で、わたしたちは何回もその神秘を告白しています。例えば、栄光の賛歌の中でも「全能の父なる神よ、主なる御独り子イエス・キリストよ、聖霊と共に父なる神の栄光のうちに」という言葉で、三位一体の神様を賛美します。また、使徒信条を唱えながら、天地創造の時から教会の時代とも言われる今の時代に至り、更に、世の終わりの日までの救いの歴史の中で、三位がどのようにかかわっておられるのかを告白します。そして、ミサを終える際には、三位一体の神様の祝福をいただくために、司祭の祝福の祈りに合わせて十字架のしるしを切りながら願います。でも、それだけでなく、もっと意味深い箇所があります。それは四つの奉献文ですが、今日は第二奉献文の三つの言葉を用いて、この三位一体の神秘について考えてみたいと思います。それは「まことにとうとくすべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供えものをとうといものにしてください。わたしたちのために主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。」という箇所です。この祈りは御父に向かって唱える祈りで、御父が聖霊によって教会の供えものをとうといもの、すなわち、イエス・キリストの御からだと御血にしてくださることを願う祈りです。それは何と恵み豊かな祈りでしょう。しかも、その恵みは「わたしたちのために」与えられる恵みなのです。わたしはミサの中で、特にこの箇所を唱える度毎に、慈しみと愛に満ちておられる三位一体の神様の救いの御業が、一目ではっきり見えるような思いがして、感謝で心がいっぱいになります。そして、もう一箇所、わたしたちは特別な恵みを祈り求めます。それは「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。」という箇所です。これはキリストの御からだと御血をいただくわたしたちが、聖霊によって三位一体の神様の交わりにもあずかることができることを願う祈りでしょう。わたしたちがこのミサの中でキリストの御からだと御血をともにいただくのは、三位一体の神様の神秘に一人残らず共に与るためのことです。すべての奉献文の最後には「キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。アーメン」という結びの栄唱があります。これも、三位一体の神様をほめたたえる讃美歌で、神様ご自身が成し遂げられた救いの御業と、その御業のしるしであるミサが教会に委ねられたことについて、感謝と賛美を捧げるのです。わたしたちは神様のその美しい交わりに与るために信仰の道を歩んでいて、典礼の花とも言われるこのミサの中で、神様の愛の交わりを学ぶべきです。

さて、三位一体の神様は、天地創造の前からいつもその愛の交わりの中で働いておられ、わたしたちをその愛の交わりに招いてくださいます。それについては、イエス様の最後の晩さんでの祈りを通してはっきりと分かります。その祈りとは、「父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。」というものです。わたしたちは洗礼によって三位一体の神様の子供となり、教会の色々な活動や奉仕を通して、神様と教会とに仕えるように招かれています。ですから、すべての活動や奉仕において、神様の愛の交わりに招かれた人らしく行わねばなりません。互いの声に耳を傾け、また、互いに尊重し合うことが大事なことであり、言葉や行動一つひとつに愛の心を込め、互いに愛し合う共同体となるべきです。今日は教会の本質とも言われる、宣教典礼、奉仕、交わり」の観点から、三位一体の神秘について分かち合いました。わたしたちが三位一体の愛の交わりのうちにいなければ、教会は単なる人間的な集団となりがちです。これからも、わたしたちが三位一体の神様の愛の神秘のうちに生きていくことができるよう、お祈りいたします。