いにイエス様の誕生を記念するクリスマスとなりました。主のご降誕祭、おめでとうございます。主のご降誕祭にあたって、わたしたち人間のために来られたイエス様の愛と恵みが、信者の皆さんの上に豊かにあるよう、また、すべての人の心に、イエス様の誕生の喜びと平和が注がれるよう、お祈りいたします。

主の降誕は、全能の神様がご自分の救いの計画を成し始められたことを表す出来事でした。ところが、その全能の方、つまり、できないことは何一つない方が選んだ救いの方式は、自ら人間となることでした。しかも、わたしたち人間と同じく、限りなく弱い赤ちゃんの姿でお生まれになったのです。それは、何と恐縮なことでしょう。神様は自ら弱くなり、人間の人生のすべてを、ことごとく受け止めてくださったわけです。それほど、全能永遠の神様は人間を愛しておられ、その満ち溢れる愛のあまりに、自ら人間とならなければいられなかったでしょう。それをよく示してくれる言葉が、まさに「神様はわたしたちと共におられる。」という意味の「インマヌエル」という言葉なのです。神様は、みすぼらしくてみじめな人間と共にいたいという御心でこの世に来られ、今日、わたしたちの目の前にその姿を現してくださいました。そして、その神様の愛が完全に、また、何一つ隠れることなくそのまま示されたのです。

その満ち溢れる愛に促されて、神様はご自分の独り子をキリスト、すなわち、救い主として遣わされました。その救い主・キリストの誕生日を、わたしたちは「クリスマス」と言いますが、それは「キリストの派遣」という意味でしょう。その派遣されたキリストの使命とは何でしょうか。その使命とは、まことの羊飼いであるご自分に従う全ての羊たち、すなわち、信仰のあるわたしたちのために自らを命の糧として与えることなのです。それを表しているかのように、馬小屋で生まれたばかりの赤ちゃんのイエス様は、飼い葉おけの中に寝かせられました。それを考えたら、祭儀としてのミサは聖木曜日に制定されましたが、キリストとしてのイエス様のミサは、すでにその誕生から始まったと言っても過言ではないと思います。神様は、御自分への信仰の有無にかかわらず、そのキリストのミサにすべての人を招いてくださいました。それは、赤ちゃんのイエス様によって示される真の平和と愛への招きでしょう。それに正しく応えるためには、神様が人間のすべてを受け止めてくださったように、わたしたちもその平和と愛を素直に受け止め、また、それを証しすることが大事だと思います。この恵み豊かな日、わたしたちが多くの人に主の平和と愛をもたらす人となれるよう、お祈り致します。