今日は年間第34主日で、典礼的には一年の最後の年間主日となります。教会は、毎年、この最後の年間主日を「王であるキリスト」の祭日として祝っています。この祭日は、キリスト・イエス様こそ、すべてのもののまことの王、支配者、主権者であることを表します。そして、すべてのキリスト者が、そのキリスト・イエス様の再臨を正しく準備する心を新たに整えるよう、招かれていることを示す日なのです。実は、教会の典礼暦による一年の流れは、イエス様のことを思い起こさせながら、信仰者たちがイエス様の再臨をどう準備すべきかを教えてくれるものです。特に、今日わたしたちが祝っている「王であるキリスト」の祭日と、それに繋がる来週からの待降節、それに続く主の降誕祭は、信仰者たちが世の終わりとイエス様の再臨を、しっかりと準備しなければならないことを表していると言えるのです。
重ねて言いますが、今日は「王であるキリスト」と呼ばれる祭日です。今日は、この「王であるキリスト」という言葉から、神様がイエス様を通してどれほど大きな恵みを与えてくださったのかを考えてみましょう。今日の第二朗読で、使徒パウロは「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになる」と言いました。そのキリスト、すなわち、イエス様が成し遂げられたのは何でしょうか。それは、神様が手を伸ばしてはいけないと命じられた木に、アダムが傲慢な心で手を伸ばして罪を犯したと同様に、イエス様は自ら十字架に手を伸ばし、ご自分の命を捧げられたということでしょう。
それは、御父であり、まことの牧者である神様が望んでおられたことでした。神様は、そのイエス様の聖なる犠牲を通して、今日の第一朗読が語っていることを成し遂げられたわけです。つまり、イエス様を通して、「失われたご自分の羊の群れを探し、雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出し、その群れを養い、憩わせる」という約束を叶えるために、神様はご自分の独り子の命さえ惜しまずささげられたということです。
神様はそのイエス様を復活させられ、尽きることのないまことの王権を授けられました。使徒パウロによると、世の終わりの日、キリスト・イエス様は「すべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神様に国を引き渡されます。そして、最後に死を滅ぼしたら、ご自身も神様に服従されます。」それは、神様が唯一の主、唯一の支配者であり、その国は唯一の国となることを明らかにするためでしょう。その神様の国に入れる人たちの中にはキリストに属している人たちがいます。彼らはイエス様を通して現れた神様の慈しみと愛を信じ、その愛をあらゆる形で実践し、また、証しした人たちに違いありません。
その人たちは、今日の福音に書いてある羊のような人たちです。彼らは、イエス様が「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人たちなのです。きっと彼らは、そういった悲惨な状況にある人たちが、本当にイエス様だとは思わなかったでしょう。そこで、彼らはイエス様に、「主よ、あなたがいつそうだったのでしょうか。」と聞きました。それに対してイエス様は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と言われたわけです。しかし、山羊のような悪人どもは、「主よ、あなたがそうだったことがありますか。」という風に聞きました。それは、「主がそうなるのはあり得ないこと」と考えたからでしょう。そこで、イエス様は、「この小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」と答えられたのです。
最後にイエス様は次のように宣告なさいました。「この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命に与るのである。」と。その永遠の命に与る人たちとは、イエス様の愛を信じ、その愛を実践する人たちでしょう。彼らはその愛の生き方に従って生き、キリストに属する人たちでしょう。神様は彼らに、御自分の国に入るための資格を授けられます。そして、まさに、わたしたちにもその資格が授けられているわけです。わたしたちは皆、死ぬべき者だったのに、キリスト・イエス様の愛によって生かされる者となり、その命に与れる者となったわけです。
今日は「王であるキリスト」の祭日です。キリストが真の王であれば、キリストに属しているわたしたちは皆、王族であり、神様の子供、兄弟姉妹なのです。キリストが唯一の王であれば、全ての力は意味のないものでしょう。しかも、教会では言うまでもありません。ですから、あらゆる形の力ある立場、その立場による力に知らないうちに惚れ、それを振りかざすことに注意を払うべきです。残るのはただ「イエス様の愛」だけです。その愛を実践して、主の再臨を準備しましょう。王であるイエス様の愛がわたしたちを守ってくれますように。アーメン。