先日の1月22日、議政府教区の若い神父様が亡くなりました。わたしの後輩で、2021年2月からザンビアで宣教司祭として働いていました。マラリアにかかって帰天されたそうです。享年47歳、本当に悲しいですが、神様が彼に永遠の命を与えてくださることを願うばかりです。2013年に叙階された彼は11年間司祭として働きましたが、その中、6年がアフリカでの生活でした。彼の司祭叙階の御言葉は、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」というマタイの福音の御言葉でした。まさに、今日の第二朗読に記されている言葉でしょう。世の中的な報酬を求めるのではなく、無報酬でみ言葉を宣べ伝え、また、神様と人とに仕えることこそが、神様からのまことの報酬であることを、彼はよく悟り、それを証ししてきたと思います。ある意味、その神父様は本当に幸いな司祭だったという気がします。なぜなら、「宣教師は自分の宣教地で死ぬ覚悟で働くべきである。」という言葉通りになったからです。
信者の皆さんもご存知ですが、以前二俣川教会の主任司祭を務めたペトロ李廷胤神父様は、再来日して働くこととなっています。その人事異動の発表の後、彼は二俣川教会に来て、「一回目の宣教に失敗したので、再び参りました。」という風に、自分の気持ちを語ってくれました。その一回目の宣教が失敗かどうかを判断するのはただ神様だけですが、わたしは決して失敗だとは思いません。なぜなら、前回、彼は「ただで受けた賜物を、ただで分かち合ってくれたから」です。その賜物とは何でしょうか。それは、絶えず神様の愛と慈しみを宣べ伝え、また、証されたイエス様そのものです。どうか、神様が李神父様の韓国での経験を生かしてくださり、彼を通してもっと豊かな賜物を日本の信者たちに与えてくださるよう、願っております。
今日の福音で、イエス様はシモンとアンデレの家に行かれました。その時、シモンのしゅうとめが熱を出して苦しんでいると聞いて、イエス様はしゅうとめのそばに行き、彼女の手を取って起こされました。すると、彼女の熱は去り、それから彼女はイエス様一同をもてなすことができたわけです。その出来事が広まったからでしょうか、夕方になると、多くの人たちが、病人や悪霊に取りつかれた人々を連れてきたのです。イエス様はそれら全ての人を癒し、また、悪霊から解放してくださいました。そして、翌日、イエス様はまだ暗いうちに人里離れたところに行き、祈っておられました。そこで、町の人々は再びイエス様を捜し始めましたが、それは、イエス様を自分たちから離したくなかったからでしょう。イエス様は彼らに、「わたしは宣教するために来た。」という風におっしゃいました。宣教とは、神様の御言葉を宣べ伝え、また、実践することでしょう。神様の愛と慈しみの御言葉を宣べ伝え、それを実践することによって、その神様の愛と慈しみを証しすること、それこそが宣教なのです。
さて、イエス様がシモンの家におられたその日、多くの人たちが病気や悪霊に苦しんでいた人々を連れてきたのは、その日の夕方でした。なぜ、夕方だったでしょうか。それは、その日が安息日だったからでしょう。人々は安息日、その当日の夕方、つまり、安息日が終わってからイエス様のところに訪ねてきたわけです。安息日の日中は、働いてはいけないので、その日が終わる夕方ごろ、人々は動いたのでしょう。もうすでに、厳しい律法に慣れてしまい、自分たちも知らないうちに、自然にそういう風に生きていた、そのかわいそうな人たち。きっと、イエス様はその一人一人の手を取り、起き上がらせてくださったに違いありません。それは、「みんな、そのようにしなさい。」と言う意味のしるしではないでしょうか。例え、イエス様が目には見えなくなっても、今度はそのイエス様の暖かい心を持って、互いに手を取って起き上がらせ、交わり合うことこそが、互いに愛し合うことでしょう。知らないうちにわたしたちを縛っている様々な枷や鎖のようなものを解いて、手と手を繋いで行けますように。アーメン