今日の福音で、イエス様は弟子たちに一休みの時間を許してくださいました。彼らはイエス様に遣わされ、福音を宣べ伝えてから帰って来たのです。そして、自分たちの活動について、色々報告しましたが、それについては先週の主日の福音の最後の箇所に、次のように記されています。彼らは「出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」と。その報告を受けられたイエス様は「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい。」とおっしゃったわけです。
ところで、「人里離れた所」とはどんな場所でしょうか。人が少ない田舎とか、何もない砂漠とか荒れ野のような所でしょうか。無人島はどうでしょうか。出入りする人のいない所ですから、「弟子たちだけが知っている」密かな所かもしれません。或いは、ちょっとネガティブ的かもしれませんが、気が合う人たちだけの場所、アジトのようなイメージもあります。情報時代である現代だったら、Lineグループとかグループメールのようなものも頭をよぎります。いずれもいいでしょう。大事なのは、そこにイエス様がおられるか否かですから。
とにかく、イエス様の一行は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ向かいました。しかし、多くの人たちは弟子たちの様子にすぐ気づいたようです。もっと、正確に言えば、弟子たちでなく、彼らと共におられるイエス様に気付いたのでしょう。「これは大変だ。イエス様がいなくなるかもしれない。我々から立ち去るかもしれない。」そして、すべての町の人たちが急いで一斉に駆けつけ、弟子たちより先に、「人里離れた所に」つきました。すごい光景が目に浮かびます。それは、おびただしい人たちが湖のほとりの道を走っている様子でしょう。
でも、不思議です。弟子たちは自分たちだけで、「人里離れた所」へ行っていたのに、すべての人が既にその場所を知っていたかのようです。確かに、イエス様は弟子たちに「あなたがただけで」と言われました。なぜ、ご自分を含む「わたしたち」でなく、「あなたがただけ」と言われたのでしょうか。実は、イエス様は今日、とても素晴らしいことを示してくださいました。それは、イエス様による「新しいパスカ」、すなわち、「新しい過越祭」だったのです。
神様は昔、モーセを通してイスラエルをエジプトから荒れ野へ導かれました。エジプトという「様々な誘惑と罪の暗闇」から、神様の元へと移してくださったのです。それは、ご自身がイスラエルの唯一の導き主、飼い主、王であることを表します。同じく、イエス様は弟子たちを通して、人々を「人里離れた所」へ導いてくださいました。彼らは弟子たちの様子を見て、イエス様の所へ先に着いたでしょう。多くの指導者や頭はいましたが、その人たちは自らが飼い主のようにふるまっただけでした。そこで、イエス様はそのかわいそうな羊の群れを、ご自分のところへ導いてくださったのです。今日、弟子たちは自分たちの役目を改めて悟ったと思います。それは、傲慢にならず、ただ人々にイエス様だけを示し、イエス様のことだけを教え、イエス様だけに導かねばならない、ということでしょう。
さて、人里離れた所へ行くとは、自分の所から離れることです。そのためには、事前にいつでもそこから離れることができるように準備しなければなりません。今日もイエス様は、わたしたちをご自分の所に導いてくださいました。様々なことで乱された心と魂を整えて、真の飼い主との素朴な食卓を準備しましょう。イエス様が喜びながらわたしたちを待っておられます