今日の福音はある律法学者の質問から始まります。その質問は、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」ということでした。それについてイエス様は、「第一の掟は、『あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、『隣人を自分のように愛しなさい。』」という風に答えられました。それを聞いた律法学者は、イエス様の教えを素直に認め、イエス様に『あなたは、神の国から遠くない』と言われたわけです。ところで、この福音箇所は、マタイやルカの福音にも書いてあり、それぞれ少し温度差が感じられます。というのは、この律法学者とイエス様の対話、また、その話の流れが全く違うからです。でも、説教を聖書勉強のようにはしたくありませんので、是非、各々他の福音も読んでいただきたいと思います。

さて、今日の福音には書かれていない最初の箇所があります。それは、「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て」という箇所です。律法学者はイエス様の立派な姿を見ましたが、他の福音によると、それと共に、イエス様を試そうとしたそうです。彼は、他のファリサイ派の人たちと一緒に、イエス様のところに勢い良くやって来ました。彼らは、イエス様が自分たちのライバルであるサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて集まったでしょう。まるで、自分たちの知識と知恵の深さを示したかったかのようにも見えます。その律法学者の質問は、核心を突いたものだったでしょう。

でも、実際に核心を突いたのはイエス様でした。イエス様は彼の質問に対して、『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」と教えられたのです。これは何と鋭い教えだったでしょう。事実、イエス様はその答えによって、彼らの偽善をあらわにされたのです。「唯一の主である神様」のほか、神様はいないはずなのに、ファリサイ派の人々や律法学者たち、サドカイ派の人々は、様々な形の神様を敬っていたわけです。彼らは、昔からの言い伝えや伝統、律法の文字に拘り、また、世俗的な権力や富にも心を奪われていたでしょう。しかも、その言い伝えや伝統、律法を用いて、人々を虐げたり、裁いたりしたわけです。もはや、そこにいた人たちは、質問できなくなってしまいました。自分たちの愚かで頑なな心が明らかになったからでしょう。そこにわたしたちがいたら、どうでしょうか。

 福音の最後に、イエス様は「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。これは、律法学者の最後の答えを聞いた後の御言葉です。彼は、イエス様の教えをそのまま繰り返すことだけでなく、自分なりの意見も加えました。でも、ルカの福音によると、イエス様の教えの後、律法学者は自分の正しさを示そうとして、「誰がわたしの隣人でしょうか。」と、質問したそうです。そこで、イエス様は「善いサマリア人」という、有名な例え話を語られたでしょう。「神様の国から遠くない。」これは、「でも、近くもない」という意味でもあるでしょう。どうしたら、神様の国に近づけるでしょうか。善いサマリア人の例え話の結論からその答えが見つかります。それは、「行って、あなたも同じようにしなさい。」という御言葉です。まるで、「知っていることをどんどん行いなさい。そうすれば、もっと近くになるよ。」という風に聞こえます。イエス様の優しい励ましの御言葉に答えて、信仰と愛の道を歩んで参りましょう。