今日、イエス様はとても恐ろしくて怖い予言をなさいました。「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」これはまさに、終末のことでしょう。実に、この話通りになるのを見たら、誰もが、「すべてが終わるのだ。」と感じ、みんな恐怖に包まれるしかありません。

でも、イエス様は、そんな絶望的なことを語ったわけではありません。むしろ、これは希望と励ましのメッセージなのです。それは、イエス様の次のお話から分かります。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」つまり、そのような怖いことが起きるのは、救いの日が来たのを表すためだということでしょう。

確かに、終末という言葉は聞くだけでも怖いことです。しかし、それは、神様の救いを信じず、それを望まない人たちだけが感じる怖さでしょう。でも、わたしたち、神様の救いを信じる人たち、その救いの日をひたすら待ち望む人たち、その救いを準備している人たちにとって「その日」は、決して怖い日ではありません。そこで、今日の福音でイエス様は、「大きくて怖いしるし」だけではなく、「いちじくの木」という小さなしるしについても話されたのです。これは、何と温かくて優しい例え話でしょう。イエス様は、想像さえできないほどの恐ろしいしるしについておっしゃった後、この単純で身近なしるしについて言われたわけです。

実に、神様はあらゆる形で、「終わりの日」を示してくださいます。それは、わたしたちがその日を、自分が滅ぼされるかもしれないという、「恐怖心」にかられて準備しないようにするためでしょう。そこでイエス様は、みんなが良く分かる親しくて身近なしるしを用いられたと思います。神様は、わたしたちが怖さにかられて仕方なく準備することでなく、むしろ、慈しみと愛による救いを待ち望みながら準備することを望まれます。何と温かい神様でしょうか。

でも、身近なしるしは、逆に軽んじられやすいでしょう。確かに、人間には大きくて素晴らしいしるし、あるいは、とても恐ろしいしるしを見て、自分を顧みる傾向があるようです。しかし、よく考えてみたら、そのようなしるしはもう示されています。それは、まさに、イエス様のことです。イエス様の死と復活こそ、誰もが想像さえしなかったしるしでしょう。御父である神様が御自分の独り子をしるしとされ、わたしたちにまことの生き方を示してくださったわけです。そのイエス様は、わたしたちが様々な身近なしるしを通して、最後の終わりの日を毎日ちゃんと準備するように、今日、「いちじくの木」の例え話を語ってくださったのです。ですから、いつも目覚めて、悔い改め、良い業に励み、互いに愛し合う機会を増やしませんか。

終わりの日を待ち望む人は、とても幸いな人です。その日、その時は、御父だけがご存知ですが、いつか、必ず来ます。今日、イエス様はわたしたちを、「今、ここから」、その日に招き、また、導いてくださいました。すでに始まったけれども、まだ完成していないその日を、信者の皆さんが、喜びと希望のうちに準備することができるよう、お祈りいたします。