神様による天地創造の時のことです。地は、混沌であって、闇が深淵の面にあり、神様の霊が水の面を動いていました。神様は御言葉で働き始められました。「光あれ。」その時、その光を受けて、水は自分を覆っていた混沌と闇から解放されました。その水を神様は二つに分けられ、その分けられたところにすべてを造られました。そして、神様のみ旨通りになったとき、ついに、神様はご自分にかたどって人を造られました。水は喜びました。自分が神様の美しい創造の道具となったでしょう。しかし、その恵み豊かなところで、人は罪を造り、死をもたらしてしまい、すべてを失いました。そして、水は、再び悲しみに覆われてしまいました。

長い年月の後、水に悲しい仕事が任せられました。「洪水となれ」ということです。人々の様々な罪が世の中に満ち溢れるほどになったのです。神様はその汚れた世の中をそのまま見ていられなかったでしょう。神様は水ですべてを滅ぼそうと決められました。大雨が降り、地の奥深くからも水が湧き出てすべてを飲み込みました。幸いに一つの家族が救われました。ノアの家族です。神様は彼に大きな箱舟を用意させ、命あるすべてのものを一つがいずつ、彼と共に救われるようにされました。その悲しい洪水の後、水はオリーブの葉っぱを運んで一羽の鳩に渡しました。新しい天と地が表れたのです。その時、水はノアと一緒に見聞きしました。美しい虹と神様の声を。「地のすべての獣と契約を立てる。二度と洪水によって地を滅ぼすことも決してない。そのしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。」

さて、水には新たに大事な任務が与えられました。エジプトから逃げた神様の民であるイスラエルを守ることです。エジプトの奴隷だった彼らが、神様の人であるモーセに導かれていたのです。しかし、ファラオは自分の軍隊を率いて、イスラエルを追い詰めようとしました。みんなを滅ぼそうとしたでしょう。紅海の寸前にまで追い詰められたイスラエルは慌てふためいてモーセと神様を恨みました。その時、神様の強い息吹を受けた水は分けられ、モーセは壁となった水と水の間に民を通らせました。そして、みんなが渡り終えた後、再び水は一つとなり、彼らを追ってきたファラオの軍隊を襲いました。こうしてイスラエルは真に自由となったのです。その水に今日、とても大事な務めが授けられました。「洗礼の泉となれ。」

イエス様がヨハネから受けた洗礼のことです。多くの群衆はメシアと認められていたヨハネから洗礼を受けていました。その中にイエス様もおられたでしょう。イエス様の洗礼が終わった後、開かれた天から新しい光が輝き出て、その輝きで水も煌めいています。そして、その昔、オリーブの葉っぱを運んだ鳩が聖霊のしるしとして現れます。また、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者』という御父の声が天から聞こえます。その時、水には永遠の務めが与えられました。それは、イエス様ご自身の御体によって祝福された水が洗礼の泉となることです。そして、絶え間なく命を湧き出でさせることです。イエス様の洗礼の泉は世界の隅々にまで充ち渡り、大きな川のようになります。それは恐ろしい洪水ではなく、喜びの水、喜びの流れです。その水の上に永遠の箱舟があります。

永遠の箱船とはイエス様のことです。イエス様は自ら箱舟となり、その中にいる人々に聖霊を豊かに注ぎ養ってくださいます。その恵みを授けるために、イエス様は人となってわたしたちの内におられるのです。皆がイエス様と同じように生きて、永遠の命に与ることができるようにするためです。降誕節の最後の日、洗礼の意味を改めて味わい、生かしていくことができますよう、お祈りいたします。