姜真求神父 主の昇天の説教

 

 私自身もそうですが、外国で生活している人たちにとって、この新型コロナの事態は本当に辛いことに違いないと思います。特に、愛する家族に会えないことは、言葉では表現できないことです。ましてや、政治的な葛藤や戦争などが原因ではなく、目に見えないウイルスが原因で人の往来が出来ないのだから、気持ちがもっと重くなります。今は、この病気が終息されることを待つばかりです。いつもの祈りですが、神様が早くこの病気から人類を解放してくださることを、切にお祈りいたします。また、今までの私たち一人一人が犯した過ちや罪を認め、悔い改めることができるように、神様の導きをも祈り求めます。併せて、人間が自分だけの力でこの病気と闘おうとせず、神様により頼んでこそできるということを悟り、皆が神様の存在を認め、そのもとに立ち返ることができるようにしてくださることをも、お願いいたします。

 さて、今の私にとって飛行機に乗ることは全然不思議ではないことですが、子供の時には空を飛んでいる飛行機を見ながら、その飛行機に乗ることに憧れました。「いつか大人になったら、あの飛行機に乗れるかな。」と思いながら、村の山の上で、どんどん遠ざかる飛行機を見つめたりしました。そして、家に帰ってきて壁に掛っている十字架を見て、「あれはその飛行機と同じ模様ではないか。」と思ったこともあります。おかしな考えだと思われるかもしれませんが、その時の私の目にはそう見えました。

 今日はイエス様が神様のもとに昇られたことを記念する「主の昇天の祭日」です。復活されたイエス様はそれから40日の間、弟子達にご自身を現わされて、彼らがイエス様の復活を強く信じるようになさいました。それは、これから弟子達の使命、つまり、神様がイエス様を通して成し遂げられた救いの御業の証人となることを準備させるためでした。でも、弟子達はまだ、その使命をどう果たすのかを知りませんでした。勿論、イエス様から学んだことや目撃した徴もたくさんありましたが、どうしてそれを力強く宣べ伝えることができるのかについて、彼らはすごく心配していたでしょう。イエス様の復活は、イエス様ご自身が、度々その姿を見せてくださったので、はっきり信じることができましたが、自分達だけでイエス様の十字架の死と復活を証しするには、まだまだ力が必要だったのです。それでイエス様は、今日の第1朗読に書かれているように、「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」とおっしゃったのです。言い換えれば、イエス様は彼らが自分達の力だけではなく、神様からの聖霊によってその使命を果たすことができると、はっきり教えて下さいました。それからイエス様は天に上げられましたが、その姿をじっと見つめている弟子達の様子は、何か呆然としているように見えます。そんな彼らに白い服の二人の人がやってきて、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じありさまで、またおいでになる。」と言いました。つまり、呆然としていた弟子達が気を取り直すようにしてくれたのです。それはまるで、「これからは、今まで経験したこともない、新しい現実を過ごすことになる。」とのように聞こえます。

 そうです。イエス様の昇天は、弟子達が新しい人生に向かって目を開くようにしてくれる出来事でした。それはイエス様がペトロを招かれた時の約束でもありますが、これから彼らは「人間を取る漁師」としての新しい人生を迎えていたのです。今日の福音で、昇天される前、イエス様は弟子達に全ての民をご自身の弟子とすることを命じられ、また、彼らに三位一体の御名によって洗礼を授けることを指示されました。併せて、イエス様が命じておられた全てのことを守るようにという教えをも、弟子たちに命令されました。こうしてイエス様は弟子達が自分達の力や知恵ではなく、神様の力をイエス様の福音によって、人間を取る漁師としての使命を果たすことができるのを明確にされたのです。弟子達はイエス様から頂いた命令に従って、至る所でイエス様の福音を教え、彼らを神様の新しい民としました。その新しい民が、所謂、教会です。

 教会はイエス様の弟子たちの集い、三位一体の御名によって洗礼をいただいた人達の集まり、イエス様の掟を守る人々の共同体なのです。すなわち、ただ一人の真の羊飼いであるイエス様に従う人々、同じ洗礼を通して新たに生まれた兄弟姉妹、「互いに愛し合う」ことを一番大事な掟として守る愛の共同体が、教会の真の様子であるということです。ほかの説明を加えたら、それは今日の第2朗読の内容通りです。つまり、教会の人とは、神様を深く知り、心の目で神様を仰ぎ見る人であり、また、神様だけに希望を置いて、神様の永遠の国に向かって歩む人なのです。彼らは神様の力に守られていて、至るところで豊かな愛の実を結ぶ人々に違いありません。教会の頭であるイエス様はご自身の体である教会がご自身に従い、また、付いてきてご自身のもとに集まることを望んでおられます。これが、今日私たちが記念している主の昇天の意味でもあり、それは今日のミサの叙唱にも記されています。残念ながら、日本語のミサの式次第文には載せられていませんが、次のような内容です。「栄光の王である主・イエスは罪と死に打ち勝った勝利者として、今日天使たちが仰ぎ見ているうちに天のいと高き所に上げられ、神と人との仲介者、世の審判者、万物の主となられました。私たちの頭であり、先駆者として先立っていかれたのは、卑しい人間の身分を遠ざけるためでなく、ご自身の体である私たち(教会)が希望を抱いて、ご自身に従わせるためでした。」確かに、イエス様は今日の昇天を通して、私たちも天の国に上げられることを、前もって示してくださったのです。

 さて、韓国のある神父様の「この世の異邦人」というタイトルのエッセイがあります。本があまり好きではなかった私は、神学校に入学した時、ただ3冊の本をもって入学しました。この本はその中の1冊でしたが、著者の神父様は「私達はこの世の異邦人であって、いつか、本郷(元々の故郷)に行かねばならないことを忘れてはいけない。」と記していました。そこへ向かう乗り物はたった一つだけあり、その永遠の故郷に行くには、イエス様の愛の十字架に乗らねばできないでしょう。今の悲しい状況の中、私達が先ず、新たにならなければならないと思います。全ての命が脅かされていますが、だからこそ、神様により頼み、また、イエス様の愛の生き方に従うべきです。それが神様の御国の人々に相応しい生き方だと思います。信者の皆さんと全ての人が、神様により頼み、イエス様に従って、その御国に集まることができますように、アーメン。

カトリック二俣川教会主任司祭  ヤコブ姜 真求

 

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