これは神学校に入学し、初めての夏休みを迎える1年生の神学生たちによく見られる様子です。神学校の学期末試験は2週間にわたって行われますが、夏休みや冬休みの間、追加試験を受けたくないならば、その2週間の本試験を無事に通過することが大事です。そのストレスがあまりにも大きいので、時々、頭を冷やすために帰省のための荷物をまとめたりしながら、そのストレスを発散させます。でも、神学生として初めての夏休みなので、どういう風に荷造りするかが分かりません。ですから、分厚い「教会の祈り」から始め、様々な日常の生活用品、さらに2ヶ月分の衣服まで次々と大きなカバンに入れていくので、その重さや量はどんどん増えて行きます。そして、ついに休みの初日、その大きな荷物を引きずり、両手には小さなカバンをかけて神学校の建物から出ると、誰が1年生なのかがはっきりと分かります。一番多くの荷物を持っている者がいたら、それは1年生に間違いありません。しかし、私もそうでしたが、その夏休みの間、実際、持ち帰った荷物を使ったことはほぼありませんでした。こうして、私たちは大きく悟り、次からは同じ過ちを繰り返さないと決心しますが、ちょうど必要な物だけを荷造り出来るまで3~4年ぐらい掛りました。

今日の福音で、イエス様は12人の使徒たちを二人ずつ組みにして遣わされました。その際、杖1本のほかは、パンも、袋も、金も持たず、しかも、下着は一枚しか着ないようにと命じられました。彼らに与えられ、また、許されたのは、汚れた霊に対する権能と、それをもってその霊を追い払うことだけでした。それは神様の国が近づいたことの証しで、イエス様は12人を派遣して、神様の統治を証しするようにと命じられたわけです。弟子たちはイエス様から授かったその権能を持って、悔い改めさせるために宣教し、また、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やしました。イエス様が許された杖1本は、その権能を表す物で、それだけが使徒としての道を歩むために必要な、唯一のものだったでしょう。また、一人ではなく二人ずつ組にして遣わされたのは、「二人がその道を共に歩む仲間である。」ということを表して、「互いに力となり、支えとなりなさい。」と言う意味だと思います。彼らは、イエス様が与えてくださったその権能によって、常にイエス様と繋がっていましたが、それだけではなく、二人同士のつながりによって、更に強められたでしょう。こうして、イエス様とその二人の間には、一致とその一致がもたらした福音宣教の喜びが満ち溢れていたと思います。その全ての要素が彼らの力となったのは言うまでもありません。

今日の第1朗読で、預言者アモスはベテルの祭司アマツヤから酷い侮辱の言葉を浴びせられました。アマツヤはアモスがユダの国の人で、サマリア人でもないのに、なぜ、サマリアで預言しているのかと責めたのでしょう。アマツヤの目には、アモスがただ、お金や糧を稼ぐために働いている「貧しい偽預言者」のように見えたに違いありません。実際、アモスはいちじく桑を栽培する農夫で、家畜を飼う人に過ぎませんでした。けれども、神様に捕らわれてからは、神様の御心を伝えねばならない身分の人となったのです。その働きには色々な迫害や反対が伴ったはずですが、アモスにとって最も大事なことは、すべての人が自分の活動を通して神様のもとに立ち返ることだったでしょう。むしろ、アモスの貧しさは、神様だけに従うための大きな力となったと思います。つまり、神様の計らいに全てを任せる農夫であり牧者であったので、自分に降りかかるはずの様々な苦境や困難に対しても、勇敢に向き合うことができたということです。

今日の第2朗読で、使徒パウロは私たちがイエス様によって救われたことを、はっきりと語っています。その救いは天地創造の前から計画されたもので、神様は私たちを「聖なる者、汚れのない者、また、神様の子」とされました。その為、神様は愛する独り子であるイエス様の血を流して、その流れにわたしたちの罪を洗われ、わたしたちを贖ってくださったのです。こうして、私たちは神様の御国を受け継ぐ相続人となりましたが、その証、また、保証としていただいたのが聖霊なのです。その聖霊こそ、わたしたちが神様の御国の相続人らしく生きることができるようにしてくださる方で、わたしたちは聖霊の導きに従うことによって、その御国に入れるのです。聖霊に導かれるために必要な姿勢とは、と問われたら、それは「霊的な貧しさである」と答えることができます。自分を高ぶらないこと、思い上がりを抑えること、聖霊の知恵を求めること、祈りと聖書の黙想に励むこと、イエス様とのつながりを保つこと、信仰の仲間との絆を大切にすること、そして何よりも、神様を愛し、隣人を愛することが大事なことです。わたしたちがこのように生きるならば、それによって、神様の慈しみと愛が証しされ、また、救いの福音が広がることになるでしょう。

神学校の1年生の時のハプニングは、たった2ヶ月の休みのために起こったことでした。「これがなければ、これもなければ」と考えながら荷物を包んでも、実際には要らない物の方が多かったです。イエス様がおっしゃった通り、自分の富がある所に、自分の心もあるでしょう。わたしたちの真の富である神様の国に向かって、今、各々がどういう風に荷造りしているのか、自ら問いかける必要があると思います。これからの私たちの信仰の道が、ただ愛だけを担って、仲間たちと共に足取り軽く歩む道となるよう、お祈りいたします。

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