先週の主日の福音で、イエス様は五つのパンと二匹の魚で、五千人の群衆を満腹させて下さいました。その時、満腹した群衆はイエス様を自分たちの王にしようとしましたが、それに気づかれたイエス様は、再び一人で山に退かれました。それで一旦、群衆は解散したように見えましたが、今日の福音が語っているように、翌日再び集まった群衆はイエス様を捜しに出かけ、ついにイエス様を見つけました。しかし、もうすでに彼らの本心を知っておられたイエス様は、彼らに「あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」と言われました。それからイエス様は、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と言われ、更に「これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」とおっしゃいました。それを聞いた群衆は自分たちが何をすれば神様の業を行うことになるかについてイエス様に尋ねました。そこでイエス様は、「神様がお遣わしになった者を信じること」だと言われましたが、こうおっしゃったのは、まだ前日の満腹の幻想に留まっている群衆の心と魂を目覚めさせ、彼らを神様への信仰の道に導く為でした。
その導きに従い始めた群衆は、自分たちが信じることができるように、しるしを見せてほしいとイエス様に要求しながら、その昔、先祖たちが荒れ野で「天使たちの糧」と言われるマンナを食べたように、前日のパンの奇跡をもう一度行ってくださることをひそかに求めたわけです。そこでイエス様は彼らに、二つのことをはっきりと示されました。先ず、先祖たちが食べた天からのパンを与えられたのはモーセではなく、ご自分の御父、つまり、神様だということをはっきりと教えられました。また、その神様が与えて下さるパンこそ真のパンで、それは「天から降って来て、世に命を与えるものである。」ともおっしゃいました。そして群衆がその真のパンをいつも頂きたいと言うと、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と言われたのです。
ここで、今日の福音を簡単にまとめてみましょう。前日パンの奇跡を経験した群衆は、もう一度パンをいただくため再びイエス様を捜し、ついに再会しました。イエス様は彼らに「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と言われ、彼らを信仰の道に導こうとなさいました。そこで彼らはイエス様を信じるためのしるし、つまり、もう一度パンの奇跡を要求しました。すると、イエス様はご自分こそが神様からの真のパンで、自分のもとに来る者は飢えることがなく、自分を信じる者は渇くことがないと仰せになり、イエス様ご自身がしるしとなることを人々に示されたわけです。
ちょっと考えてみたら、群衆は体の命を守る為のパンを求めていたことが分かります。しかし、イエス様は彼らに永遠の命の為のパンを与えようとされました。群衆はイエス様から現世的で目に見える食べ物を頂いて、日々のパンを得る為の悩みを解消したかったのでしょう。そうすれば、自分たちがやりたいこと全てが叶えられると思ったはずです。つまり、彼らが求めていたパンとは、生きている間の為の食べ物だったということです。イエス様は彼らがただ自分たちの命を守る為、そして、世の中のことを叶える為だけの食べ物に捕らわれているのを憐れに思われました。また、その欲心や欲望の為に、様々な争いを続けながら、あらゆる罪と咎を犯している人々を諭し、真の命の道に導こうとされました。その道とは勿論、神様への信仰の道で、イエス様はご自分がその信仰の為の証しとなることを、今日の福音を通して示されたのです。言い換えれば、自ら永遠の命の為の食べ物、すなわち、神様のみ旨を果たす為の神様の小羊となることです。全ての人の命を救い守る為、自らの命をも捨てること。これこそがイエス様が与えようとされたパンで、私たちはそれを頂いて、自分もイエス様のような愛のパンとして生きていくことを望んでいるわけです。そうすることで、私たちもイエス様の永遠の命に与れることを信じているからでしょう。ですから、今日の第2朗読で使徒パウロが勧めているように、様々な欲望に拘らず、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神様に象って造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るべきです。その身に着けるべき新しい人とは誰でしょうか。それは言うまでもなく、イエス・キリストでしょう。イエス様の慈しみと愛の生き方に沿って生きることこそが、私たちの真の糧、真の食べ物に違いありません。
ところで、カトリック教会には四つの重要な教えがあります。それは、「唯一の創造主である神様はおられる。神様のみ言葉である御独り子が人となって死と復活を通して救いの御業を全うされた。神様は父と子と聖霊の三位一体の方である。聖霊に導かれて、福音に従い、愛の良い業を行う人には良い報いが、そうではない人には永遠の罰が与えられる。」ということです。まるで、神様の慈しみと愛による救いの歴史がすぐ分かるような気がします。この四つの教えは、とても大事で、誰もが危篤におちいった時、これさえ信じると表明したら緊急洗礼を頂けるのです。私は子供たちの初聖体の前、最後の面談の時、いつもこの四つのことについて子供たちに質問します。永遠の命のパンであるイエス様の御体、つまり、ご聖体を頂く為の基本的な信仰の内容を知っているかどうか、また、信じているかどうかを確かめる為です。まだ幼いので、子供たちのほとんどははっきり答えられませんが、その場合にはその場でもう一度教えてあげます。今日の福音でイエス様は、まるで群衆の初聖体を準備させるようです。イエス様は神様の愛の証し、或いは、しるしとしてご自分の命を捧げ、更に、ご聖体の形でいつも私たちと共にいてくださいます。そのイエス様を信じ、イエス様と共に愛の働きを続ければ、必ず良い報いが与えられるでしょう。私たちがいつも初聖体の時の心を忘れず、神様の恵みと力を頂いて、イエス様と共に生き、共に働くことができるよう、お祈り致します。
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