マリアはカナの婚礼に来ています。愛する息子イエス様も一緒です。今マリアの頭には過ぎ去った三十年が、まるで夢のように過ります。 天使ガブリエルとの出会いと驚きのお告げ。聖霊によって身ごもったおとめマリア。それを知って縁を切ろうとした許嫁のヨセフ。彼の夢で全てを知らせてくれたガブリエル。そして、すべての疑いや悩みを乗り越えてマリアと赤ちゃんを受け入れ、守ってくれたヨセフ。ベツレヘムでのイエス様のみすぼらしい誕生。ヘロデの剣から逃れてエジプトへ避難。神殿でシメオンから聞いた言葉。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」。十二年後、その神殿で見失ったイエス様。泣きながら神殿まで引き返した道。神殿で見つけたイエス様の言葉。「どうしてわたしを捜したのですか。」でも、マリアはただそれらをすべて心に納め、思い巡らしました。それからあっという間に時が流れ、イエス様ももう三十歳。ヨセフはすでに他界し、やもめとなったマリアにとって、イエス様は従順な心で母マリアに仕えてくださる、頼もしい息子です。
そのマリアはカナで、今幸せな新婚夫婦を見つめています。三十年前、自分もこの夫婦のように、ささやかな、でも、幸せな婚礼を行ったでしょう。それを思い起こしながらすこし微笑んでいたその時、突然騒ぎが起こり始めました。思ったより多くの婚礼客が来たのでしょうか、ぶどう酒がなくなったのです。ぶどう酒が無くなったら、その幸せな婚宴はもう終わりでしょう。マリアはその悲しい状況をイエス様に知らせました。しかし、イエス様は、何と、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と答えられました。誰が聞いても、それは、ご自分の時が来るまでは何もするつもりはない、と言う風に聞こえるでしょう。しかし、そのすぐ後、イエス様は清めのための水がめに水を満たしなさいとおっしゃいました。そして、その水を汲んで婚宴の世話役に運ぶようにと命じられたのです。何をしようとしておられるのでしょうか。まさか、水をそのままみんなに出そうとしておられるでしょうか。いえ、そうではありませんでした。いつの間にか、その水は今まで世話役さえ味わったこともない、「新しいぶどう酒、おいしいぶどう酒」となっていたのです。
何がイエス様のみ心を動かしたのでしょうか。それは、母マリアの一言だったと思います。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」これは、まさに、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」ということでしょう。マリアは、ガブリエルに会った時からずっと、自分が言ったこの言葉を忘れませんでした。どんな時でも、マリアはその言葉を忘れずに、これまでの三十年間を過ごしてきたでしょう。「自分はただ主のはしためである、すべてが神様のみ旨どおりになりますように。」イエス様の時を前倒しさせたのは、その一言だったのではないでしょうか。
この聖なる親子の姿。確かに、六つの水がめに満たされた水はとても素晴らしいぶどう酒となりました。しかし、それより最も純粋な一つの水がめがあったでしょう。それは、「マリア」という清くて素朴な信仰の水がめ、謙遜に基づいた信仰の水がめだったのです。その水がめから、「イエス様」というまことのぶどう酒が流れ出て、わたしたちにも与えられているわけです。それは天の国で味わうこととなっているもので、わたしたちは、常にその宴に招かれているのです。その国のぶどう酒を味わうためには、何が必要でしょうか。
わたしたちにはたくさんの水がめがあります。それをみんなで満たしましょう。自分一人で満たすと、それは自分のためだけの水がめとなり、そこにある水は、いつまでも水のままです。でも、みんなで満たし、それをイエス様に任せると、イエス様はその水をみんなのための素晴らしいぶどう酒にしてくださいます。イエス様の最も恵み豊かなぶどう酒が与えられるのは、例え小さな水がめであっても、例え僅かな水だとしても、それを大事にして皆で一緒に満たす時です。みんながそのような水がめ、そのような召し使いとなれますように、お祈り致します。