いよいよ、今年の復活節の最後の日を迎えました。今日は聖霊降臨の祭日で、昇天されたイエス様が約束通り弟子たちに聖霊を授けられたことを記念する日です。この聖霊降臨によって弟子たちは使徒となり、彼らはイエス様が命じられた使命を実践し始め、イエス様について証しする人、その救いの福音を宣べ伝える人となりました。その結果、使徒たちはいたるところで、信じる人たちの集い、すなわち「教会」を立て、その教会を中心として、神様の慈しみと愛による救いに多くの人々が与れるようにしたのです。こうして聖霊によって生まれた教会は、あらゆる時代のすべての人に、神様の救いをもたらす共同体となりました。そして、今の時代の私たちも使徒たちと同じ使命を果たすために選ばれて、洗礼と堅信を通して聖霊をいただき、それぞれの生活の現場で福音を告げ、また、実践しているのです。改めて、神様が聖霊を通して私たちを新しくされ、わたしたちがその聖なる使命を果たすことができますようにと、神様に切に願っています。

今日の福音で、イエス様は弟子たちに弁護者である真理の霊について語られました。イエス様はその話を最後の晩さんの時に弟子たちに言い聞かせましたが、それはまず、イエス様ご自身の受難と死を彼らに前もって知らせ、また、彼らが間もなく受けねばならない迫害に対して準備し、恐れずにそれに向き合えるようにするためでした。実際、弟子たちはイエス様の十字架上の死を前にし、恐れのあまり我を忘れたかのようになりました。そして、絶望と悲しみに包まれて、ある人たちは弟子たちの集いから離れようともしたのです。しかし、復活されたイエス様は40日に渡って弟子たちに現れて、その弱り果てた弟子たちを力づけてくださり、彼らが新しい希望と信仰のうちに聖霊降臨を待ち望むようにと励まされました。そしてついに、今日、聖霊が彼らに注がれたわけです。

今日の第1朗読は、その聖霊降臨の次第を詳しく語っています。その日、聖霊は激しい風のような音とともに、炎のような舌の形で、弟子たち一人一人の上に下されました。このしるしは炎のような強い信仰、或いは、愛によって弟子たちが清くされ、イエス様によって全うされた神様の救いを、力強く宣べ伝えるようになることを表すのでしょう。また、風は神様の霊の典型的な姿ですが、イエス様はかつてニコデモとの会話の中で、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである。」とおっしゃいました。つまり、これから使徒たちは聖霊に従う人となって、聖霊を通して神様が望んでおられる所でイエス様の救いの福音を証しするようになる、ということです。今日の第1朗読はその初めの様子を示していて、彼らはあらゆる国や地方の言葉で、イエス様のことを伝えたわけです。こうして、聖霊は使徒たちを通して罪と悪に染まった人々を神様のもとに立ち返らせ、神様の新しい民とされました。その新しい民が「教会」と呼ばれているのです。

しかし、聖霊によって力強く出発した教会の道は、決して楽で易しい道ではありませんでした。それどころか、迫害や反対、そしりや嘲り、妬みと憎しみの的となって、使徒たちを始め多くの信者たちが命を失い、また、あちこち散らされるようになったのです。教会がそのように扱われたのは、信じる人々がこの世に属していなかったからでしょう。つまり、信仰のある人たちとは、イエス様がおっしゃったように、罪と悪に染まっている世に属している人ではなく、神様に属している人であって、それがこの世に属している人たちにとっては我慢できないことだったのです。でも、神様はそういう状況さえ宣教のきっかけとされ、信じる人々は気を落とさず、神様の慈しみと愛による救いを証ししていきました。彼らの証しは、もちろん福音そのものを宣べ伝えることであり、或いは、普段の生活の中で愛を実践することによってイエス様を証しすることでした。教会がひどい迫害や反対のさなかでもそのように過ごすことができたのは、皆が聖霊に従っていたからでしょう。教会の人々は今日の第2朗読が語っているように、聖霊に導かれて、聖霊の9つの実である「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」の実を結び、それを分かち合いながら生活したはずです。教会の人々は聖霊に力付けられて、使徒パウロが教えた肉の業や世の中の業、或いは、様々な誘惑や欲望に打ち勝ちました。それは今の時代の私たちも見習うべき様子です。事実、ある観点から見たら、今の時代の教会は昔よりもっと巧妙な誘惑や迫害に曝されていると思います。神様がくださった真の自由と権利を装った偽りの教え、また、イエス様の愛の生き方を軽んずる風潮など、信仰のある人たちの歩みをいつも躓かせようとすることに気を配るべきです。また、私たちにはそれらをわきまえる賢さと、目覚めている魂が求められているのです。その為には、私たちは自分がいただいた聖霊により頼まねばなりません。聖霊は神様の息吹ですから、わたしたちは洗礼によって神様から新しい息吹をいただき、新しい命に生きているのです。ですから、それを失わないように、いつもイエス様の愛にとどまり、聖霊に励まされてその聖霊の実を結ぶ人となるように努めるべきです。

さて、話すという漢字は、「言」と「舌」に分けられ、さらに「舌」は、「千」と「口」に分けられます。やはり、人間は数えきれないほどの言葉を口で話す存在です。でも、その言葉が時には相手を攻める武器となり、分裂や争い、戦いの種となりかねません。信仰のある人々の舌には、ただ一つの言葉が載せられるべきで、それは神様の言葉、イエス様の愛だけでしょう。今日、私たちは聖霊降臨を記念していますが、それは単なる記念となってはいけないと思います。今日は私たちの上に改めて聖霊が下される日にならなければなりません。それを心に留めながら、このミサの中で聖霊の訪れと導きを祈り求めましょう。私も、信者の皆さんと心を合わせてお祈りいたします。

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